演目/水の戯れ 岸田國士

観劇日時/09.10.6.
劇団名/WATER33-39
作/岸田國士 演出/清水友陽
スタッフの記載なし
劇場名/札幌・中央区・ATTIC

 岸田戯曲賞にその名を残す岸田國士の初期短編3作を、一週間に亙って日替わりの配役で連続上演した。僕はやっと6日に観ることができたので、その報告をする。

演目1  紙風船 

捉われた心理のやり取り

昭和初期、中流サラリーマンの若夫婦(=赤坂嘉謙・中塚有里)の、日曜日のけだるい午後。結婚一年目の二人はもはや倦怠感一杯である。
 二人は互いを思いやるようで逆に閉塞感を募らせている。そういう感情を微妙な会話で進める。おそらく現代のこういう状況では、なかなかあり得ないと思われるような人間関係の設定だ。逆にだからこそ、こういう心理の関係をじっくりと探ってみようという企画なのか。微妙な心理の追っかけっこだから、舞台装置は不必要とも考えられるが、だからこそ時代の風潮が感じられる背景が大事だともいえる。
 畳一枚ほどの絨毯で表した部屋。スツールに腰掛け新聞を読む夫と、床に直に座って編み物をするだけの妻との二人だけの舞台は、余りに簡素すぎて訴え掛けが弱い。抽象劇を観ているような雰囲気、人間味というか生活感がないのだ。
劇場は雑居ビルの一室の事務所のような部屋を使っているので、背景になっている灰色の壁に二人の大きな陰が映るのが不気味で、観ている観客の心情に大きな不安定感を与える。それも演出だろうか。
 最後に紙風船が飛び込んで、それはお隣の子供が遊んでいたもので、そこでやっと二人の閉塞感は解放される。
短いがうまく創られた近代古典を、このように試演する意義は大きい。

演目2  驟雨 
    
自由な生き方とは何か

 媒酌人の夫婦(夫=高橋正樹・妻=久々湊恵美)のところへ新婚旅行の帰途、駅から直行で女(=中川原しおり)が来る。彼女は結婚前には気が付かなかった彼のデリカシイのなさに我慢できず、彼の許を去って実家へ帰ることを告げに来たのだった。
 そのやり取りの議論が物語のすべてであるが、この戯曲は新しい女の在り方を論じているように見えて、実は人間の自由な考え方を提示している、古くて新しい思想の議論であると思われる。
 芝居は議論や説教じゃないと常々口外してきた僕としては、この議論に終始したような芝居はちょっと額面通りに受け入れ難いのである。
当時としては新しい感覚であり、それを現代に表現するには新しい感覚が必要なのではないだろうか。それをこのまま上演するのは、いささか捻りがなさ過ぎたようだ。
ラストに降る驟雨に象徴される、シユールな心理劇、例えば女の心の闇に迫るような……が期待されたのだが。
この秋の雨が降るのは、季節感と同時に三人の不安定な心情を良く表わしている戯曲の終局であるが、それが良く表現されているとはなかなか思えないのだった。

演目3  隣の花 

心の自由とは?

 中流サラリーマンの日曜日の午後。 隣合った二組の夫婦(=赤坂嘉謙・小林テルヲ・高石有紀・畑山洋子)は結婚の先輩・後輩の仲である。今日は4人揃って「カツドウ」、当時の呼び名で映画のことで「活動写真」の略語だが、その「カツドウ」を観に行くことになっていた。
 二組の夫婦はお互いを羨ましがり、微妙な関係である。つまり「隣の花は美しい」という関係である。おとなしい妻と外向的なその夫。後輩の夫婦は静かな夫と主導権を持ってしまった妻。
 出かける間際になっておとなしい妻は外出を断る。怒った夫は3人で出かけようとするが、そのとき静かな夫もピクニックを持ち出して退けられる。とどの詰まり、外向的なそれぞれの夫と妻は二人で「カツドウ」を観に出かけようとする。ストップ・モーションで溶暗……4人はどうなったか? で幕。
 これも新しい考え方の提示だが、この古くて新しい葛藤を現代的に演出したら一体どうなるのか? 
さらに細かな部分で気になったことを書いておく。妻が庭を箒で掃くというシーンがあった。これは彼女の屈託した心情を表わす場面なのだが、日常の何気ない作業の一部であるから、無意識に庭のどの部分をどういう順序で掃いていくのかというリアリティが必要なのに、それがないのだ。
ここはそれほど彼女の心情を乱すような設定じゃないので、この庭掃きの演技はとても嘘臭い。庭掃きの演技のリアリティのなさなのか、心情の乱れなのかがはっきりと分らないのだ。こういう部分に引っ掛かると、全体の精密な構成が崩れてめちゃくちゃになってしまう。
     ☆
今日上演された3本ともオリジナルの再現として演じたのか、現代的な演出を目指したのか、中途半端なところが少々じれったい。制約の多い空間をどれだけ意識したのか判然としないところもある。
しかし始めたばかりだ。この岸田国士戯曲賞の原点を現代に蘇らせようとする企画は最近珍しい実験だが期待して大事に見守りたい。