演 目
水に油 糠と釘
観劇日時/09.9.12.
劇団名/劇団イナダ組
作・演出/イナダ 照明/高橋正和 舞台/FUKUDA舞台 音響/奥山奈々 
舞台部/中村ひさえ・坂本由希子 宣伝美術/小島達子 衣装/稲村みゆき・服部悦子
制作/岡田まゆみ・ほか プロデューサー・嶋智子
企画・制作/劇団イナダ組
劇場名/コンカリーニョ
観劇日時/09.10.3.
劇場名/たきかわホール

僕たちは立ち向かう術を知らない

 おそらく高校生と思われる男女6人が、パソコンでいわゆる「チャット」をやっている。それは実在する無差別殺人事件についての感想である。
 それは無責任で自分勝手な感想である。そのうちに一人の少年に非難が集まる。それが非難する方もされる方も何故かは判然としない。一種の群集心理みたいな流れなのかもしれない。集団は渦巻きのように迷宮の底に陥る。
 倫理的に規定通りに詰問する教師、猫撫で声で腫れ物に触るような母親。あまりにも典型的過ぎる。少年たちの反応も大人たちの存在も単なる状況描写に尽きて、肝心のドラマが起こらない。
 作者自身も当日パンフで「観ている者の想定を覆す物語」と書いているが、想定が覆ったのは良いけれど、ドラマが起こらないのは想定外であった。
 さらに「重く暗い話になってしまい、娯楽的要素が一つもありません。(中略)どんな犯罪を犯したのかではなく、背景だけを描こうと……」とも書いている。
 娯楽的要素がないことも背景だけを描くこともモチーフとしては「あり」だが、肝心のドラマが起きないのは辛い。
 もう一つ言えば娯楽的要素のない演劇は僕としては認め難いし、そもそもイナダ組の真骨頂はその娯楽的要素の感覚が突出して魅力が強かったし、観客はそれを期待したんじゃなかろうか?
 ラストに「僕たちは立ち向かう術を知らない」という文字が映しだされるが、その「術を知ろうとする」展開がドラマを産むのじゃなかろうか?
 仲間割れや圧力による挫折があるかもしれないが、その過程を共有するのが演劇の観客の立場ではなかろうか?
 僕の知らない世界を暴き出してみせた作者の新しい境地に向かったのは頼もしいが、とりあえずは見守るしかないであろうか?
 「水に油 糠と釘」というタイトルの「に」と「と」とが通常の慣用句と逆転しているが、「水と油」は馴染まない両者の比喩だから「水に油」で馴染まない両者を諦観するのか強引に馴染ませようとするのか。そして「糠に釘」は役に立たないことの比喩だが「糠と釘」は拮抗する両者が無限に交わらないという平行線を意味するのだろうか? そのモチーフの展開をこそ観たかった。
 モチーフの重さに負けて未完成の舞台が出来たような気がした。
後日、たきかわホールでも観たが、やはり閉じこもった閉塞感だけが強調されていて、演劇的表現に対する一種の問題提起は感じられるが、演劇的魅力が薄く、未成熟で発展途上の感が強い。
 出演者/江田由紀浩・山村素絵・佐藤慶太・野村大・
宮田碧・高田豊
江田由紀浩が集中攻撃を受ける少年。
山村素絵が少女のほかに教師と母親を演じる。その他の出演者も様々な役を演じる。