演 目
モブよ、泥棒のように走れ
観劇日時/09.8.8.
劇団名/AND
作・演出/亀井健 照明/上村範康 音響/ナガムツ
制作助手/竹之内なつみ 
宣伝写真/小林悟 宣伝美術/山田マサル 
強力協力/劇団どくんご・ヤシマミホ
劇場名/BLOCH

初見との違い

 先月、この芝居を円山公園の『劇団・どくんご』のテントで上演したのを観た。野外の情景を巧く使って良い舞台が出来ていたのだが、問題は戯曲だと思ったので、もう一度、今度はこの小劇場で観ることにした。
さて、そこでは三つのことを感じた。
 1、ここの小さな劇場の舞台の仕切をすべて取っ払って裸にし、中央前面に小さなスペースの床を作り、そこをメイン舞台として、その周りの装置を次第に取り外して、野外でやったと同じような効果を作り出していた。
 室内の劇場でこういう演出をやったのを観るのは初めてじゃないが珍しく、野外で先行上演した経験を巧く生かした演出であろうと思われる。
 背面を真っ黒に塗っているので夜の野外の雰囲気があり、それが世界の暗い広がりを感じさせて、この戯曲の主題にはマッチした設定であろうと思う。
 2、逆に全体を室内の密閉された空間に閉じこめたせいなのか脇筋の複数の人物たち、それは噛み合わない恋い人たち(=小原綾子・赤谷翔次郎=八戸卓哉・頌子)や末期ガンのやくざ、(=岡村智明)、やるせない取り締まり官たち(=富樫真衣・植松尚規・マイケル小野)、洗濯屋(=亀井健)とその恋人(=矢野杏子)の間の未来少年(=新井田琴江)などの存在が、くっきりと浮かび上がった。
 野外のテントで観たときは拡散したせいか、クリーニング屋と、総理大臣(=山田マサル)とその忠実な官房長官(=小林尚史)との確執だけが強調されて、他の人物の存在がとても弱く不要じゃないのか? とさえ思わせたのだが、ここでは多くの人物の多様性が納得できる存在として表現されていたのだ。
 3、ラストの変更は、断定的な意図への変更なのかどうかは判らないが……
 野外で上演された時のラスト・シーンは、孤独の総理大臣が、かつての親友のクリーニング屋が組織した地下抵抗団体「サイレント・タン」へと出向こうとするシーンで終わったが、それは纖滅に行くのか和解に向かうのか不明であった。それが今回は二人が同時に発砲して二人とも同時に死ぬという悲劇に終わった。
 政治に対する虚無感と人間の儚さとが粛然とあからさまに描かれて判り易いと言える。