演 目
椅 子
観劇日時/09.7.12.
劇団名/TPS小文字(tps)シリーズ
作/ウジェーヌ・イヨネスコ 翻訳/安藤信也 演出/斎藤歩 演出助手/宮田圭子 舞台監督/佐藤健一 舞台スタッフ/TPS劇団員 
宣伝美術/若林瑞沙 ディレクター/斎藤歩 プロデューサー/平田修二 制作/阿部雅子・横山勝俊 企画・製作/北海道演劇財団
劇場名/扇谷記念スタジオ・スタジオ1

生き方への強い後悔と執念

 この芝居は「人生に強い後悔」を持つ老人(=鎌内聡)が、死に面して何とか一気呵成に自分の生の意義を証明しようとして、妻(=吉田直子)の協力を得る。
だが、実はそれが儚い夢物語であったということを表現した舞台であろうと思われる。 
 無限のように増殖する椅子は、その無駄な努力と権威依存の象徴でもあろうか? そして最後に皇帝を迎えるに至って、彼の他力本願の極致が露呈される。
そして老人の思いを代弁するべき弁士(=木村洋次)は、肝心の老人夫妻が消えてから、おそらく聾唖者らしい、観客にはわけの判らない発声と、やはりわけの判らない語句を書いた紙を広げてみせる。この詳細については08年7月上演のときに書いている。『続・観劇片々』22号所載。
このわけの判らない弁士の存在自体が、老人の存在の儚さの集大成を表現しているのだ。しかも本人たちが消えてしまってから現れたって何の役にも立たないのだ。
 出演者は、小文字(tps)シリーズだから、若い役者が勉強のためにこれら大作の役々に挑んでいる。もちろんそれは大事なことだが、結果は無惨である。
 この老人たちの悲哀の人生を表現するには、まだまだ生々しすぎるようだ。精一杯に語る台詞に説得力が無さ過ぎるのだから舞台成果としては未熟だったとしか言いようがない。この挑戦に未来を期待するのだが……
ほかに斎藤歩・林千賀子・宮田圭子・齋藤由衣・高子未来を含めて、6日間に亙って様々な組み合わせの配役を作って交互に上演するという実験を行っている。
残念ながら、地方在住の僕としては中々そんなに観ることは物理的に難しい。知った俳優ばかりなので想像するしかないのだが、その想像を打ち破ってくれるような舞台を魅せてくれていたとしたらと思うと落ち着かない。
だいたい札幌だけとっても、上演される芝居の本数が多過ぎるのだ。選ぶのも大変だが考えると逆にそれは非常に良いことだと思われる。演劇に携わる人達がそれだけ多いということであり、ひいては質の向上になるわけだから……
思わず八つ当たりしてしまったが、願わくばこの思いの届くことを期待するだけである。