演 目
睡稿 銀河鉄道の夜
観劇日時/09.6.28.
劇団名/飛ぶ劇場(九州在住)
原作/宮澤賢治 作・演出/泊篤志 
衣裳/ころもチョッキンカンパニー 照明/岩田守 劇中歌作曲/泊達夫 振付/藤虎 舞台監督/森田正憲
小道具/中川裕可里・脇内圭介 制作/藤原達郎・藤尾加代子・大畑佳子
プロデユーサー/北村功治 企画・製作/飛ぶ劇場
劇場名/コンカリーニョ
出演/ジョバンニ=大畑佳子 カンパネルラ=藤尾加代子 先生・車掌・etc=木村健二 
ザネリ・鳥取り・etc=葉山太司 尼さん・青年・etc=鵜飼秋子 助手・etc=柴田智之(北九州=寺田剛史)
演奏=Aji(劇団・AFRICA)
劇場名/コンカリーニョ

如何にオリジナルを超えるか

 『銀河鉄道の夜』をいまさら説明するまでもないであろうが、一言で言えば「生きることの意義を求める切なさ」と「死へと向かう覚悟」ということの、哲学的・幻想的な表現であろう。
だからこの茫漠とした物語は、百人いれば百人の『銀河鉄道の夜』があり、でもそれは他のどんな物語にもあるとはいえども、逆にだから百人の『銀河鉄道の夜』があるのは当然であるともいえる。
そういう意味で、僕にはオリジナルの宮澤賢治『銀河鉄道の夜』が厳然として存在し、今までどんな『銀河鉄道の夜』の舞台を観ても納得させられたり、新しい感慨を受け取るものはなかったし、今日の舞台も例外ではなかった。
物語の展開はほとんど原作に沿っているが、省略したシーンも多く、逆に膨らました部分、例えば考古学士の遺跡発掘の場面などもそれなりに説得力があるのだが、語尾の「〜ジャン」とか現代語が紛れ込んだり、卑近なニュースを紛れ込ませたりしたような感じが軽薄な印象を与える。
「睡稿」という冠は、北村想の「想稿」にインスパイァされたものだと思うが、ジョバンニとカンパネルラの夜行列車の旅が、授業中の居眠りの中の夢という大枠に囲まれているという設定だが、その意義は不明だ。
原作は、ザネリを助けようとしたカンパネルラの生死の境に同行したジャバンニの夢なのだから、この設定はそれを超えるものではない。
エピソードの取捨選択はあって良いし、一部分に何かを入れたり膨らましたりするのは良いのだが、それが原作をどう解釈した結果なのだろうか?
僕が観た中では、劇団東京演劇アンサンブルの大橋喜一作の作品『銀河鉄道の恋人たち』が、原爆被災者の恋人たちの話に換骨奪胎しているのに一番原作を大事にしながら見事に表現していたのは今からもう40年以上も昔のことだった。
最近ではTPSであろうか。後半少し走った感はあったが、狭い舞台に宇宙空間の無限の広さと星祭の祝祭感を表現し秀逸であったのだ。
この作品は、いずれも「人が生きることと死ぬことの意味を深く、しかし明るく肯定的に神秘的に考えさせる好舞台であった。
特にTPSは、ジョパンニ(女性)もカンパネルラ(年配者)も異性や年齢を感じさせない演技が特筆されるべきだった。
今回の舞台には各種の楽器を持ち込み、それを一人のミュージシャンが一人で演奏していたが、澄んだ音色で雰囲気を出していた。