演 目
炎炎炎炎
観劇日時/09.4.4.
劇団名/コスモル
作・演出・司令/石橋和加子 照明/仲光和樹 
音響/松丸恵美 舞台監督/今泉馨 美術/満木夢奈
衣装/近野純子 制作/小林真樹・渡辺茅花・山森そのみ
劇場名/下北沢・オフオフシアター

エンターテインメントで表現した日中戦争の真実

 東京下町の5人家族、父親・鉄雄(=野田博史)は大工、母親・絹巫子(=宿根高生)、長男・定雄(=坂本泰久)、長女・桃(=柳沢尚美)、次女・桂(=露木友子)、次男・紀雄(=正木尚弥)、三女・京(=長沢彩乃)。この家族7人の昭和10年代前半の物語。
長男は出征し後に戦死。次男も続いて出征するが戦後無事帰郷、長女と三女はその悲劇の中を生き抜く。次女は不良と見られていたが実は非合法左翼運動をやっていた。幼い紀雄は好奇心から、その桂に付いて行く。その同志であり先輩でもある盲目の反戦歌手・蘭虫(=石橋和加子)は母親・絹巫子の実の姉であり夫・鉄雄を巡る恋敵でもあったのだ。
陸軍大佐・唖射子(=砂糖マキ)も、父・母・蘭虫らの幼馴染みでありながら、その欄虫を拘束・拷問したり、終戦時に切腹するほど過激な思想と実践の持ち主だが、鉄雄の子息である定雄や紀雄を庇いながらも、定雄を死なせたことに忸怩たるものがある。
これらの話に加えて、時の首相(=最上桂子)とその謎の右腕(=潟山綾子)は時の権力の横暴と、見方によっては現在の極東アジアのある国を思わせるような行動を示す。そうなのだ、今のその国は当時の日本の状況に似て破滅に向かって狂奔しているように思えるのだ。
基本はこの家族の時代に弄ばれる悲劇なのだが、それをシリアスに演じることはない。歌や踊りや極端に誇張したポップな衣装や演技でエンターテインメント風に描く。これが現代表現なのか。だが実はあまり違和感はない。設定もかなり滅茶苦茶でたとえば陸軍大佐と首相を演じるのは女優で、女性として設定されていたりするけれどもそれは納得のいくリアリティのある設定なのであった。
戦争の原因や成立ちを論理的に説明することなく、いわばその結果としての庶民を描くのは演劇として正当であろう。演劇は議論や説明や論文ではないのだ。いかに面白くその真実を見せるのかである。
僕の隣の席に小学2・3年生くらいの女の子が観ていた。彼女はひっきりなしに笑っている。おそらく内容は良く分からないだろうと思われる。表現の奇抜さに反応しているのだろうと思われる。二か所ほど「怖い…」と呟いていた。たぶん死をイメージする死神たちの登場する場面や拷問のシーンだったと思う。
彼女にとって「芝居って面白くて怖いもの」という想いが残ったと思う。それがこの小学生のこれからの成長の過程における情操にとってどれほど重要なことか。芝居にとってどれほど大事なことか……極端にいえばそれだけでこの舞台は大成功であったと思う。
この戯曲は、作者の友人の祖父である神谷定雄氏の著書『日中戦争の記録』をモチーフに自由にフイクションを入れて創作したと当日パンフに書かれている。そういう意味でも基本はシリアスなのだ。
そして現在、末っ子の京が90歳で死の間際にあるところへ、長女の桃が迎えに来て、京が女学生の時代に起こったことを再現し、もう一度、京の現在へと戻るという大枠で囲むという構成になっている。
炎(えん)とは人の縁であり、燃える炎であり「えんえんえんえん」と泣く「えん」でもあるとも言っている。
さて今日は珍しい体験をした。1945年8月15日以前に生まれた人は入場無料なのだ。割引というのは経験したことがあり、映画は基本的に65歳以上は千円である。しかも今日は終演後その高齢者たちとトーク会をやるというのだ。
これも初めての経験だが、参加したら今日は応募者が僕一人ということで、劇団主宰の砂糖マキ、作・演出の石橋和加子そして母役の宿根高生の三人とで、ここに書いたような事を話した。この『コスモル』という集団は若い女性三人だけの劇団だったのだ。
彼女達は、「戦争体験者である私たちにとっては、悪ふざけである」と糾弾されるのではないかと怖れていた。僕はそれを否定した。このやり方が総てではないけど、充分に大きな価値がある演劇的表現方法であると強調したのであった。
戦争の残酷と悲劇をこのような方法で告発した演劇は、珍しいが意に叶った一つの表現であった。