編 集 後 記 |
放浪記 09年5月12日 89歳の女優・森光子が一度も代役を立てずに、2,000回の上演という前代未聞の快記録を達成した。ところで僕は今からちょうど10年前の99年9月29日に、当時1,500回の記録を達成中のこの舞台を観ている。 その頃も1,500回上演は快記録であり、今と同じように騒がれ、僕もやっぱり観ておかなくてはという気持ちが強かったんだろうと思う。 いまその記録を読み返してみた(『観劇片々』第5号所載00年2月刊)。それによると「予定調和のサクセスストーリィ」と題してかなり否定的に書いている。 僕は当時からひねくれ者だったのかもしれないが、東京女学館短大教授で林芙美子研究家の尾形明子さんという方が、朝日新聞の99年10月16日付きで次のような談話を発表している。 「(略)菊田一夫さんの、あるいは森光子さんの、『等身大の人情劇』として大衆性を獲得したかわりに、芙美子のニヒリズムに至るような知性や深みを手放している(略)。」「この文章が僕の感想と同じだったので引用した」とも記している。 実際に森光子さんのバイタリティと演技力には素直に感心する。だがこの舞台はあくまでも森光子さんのサクセス・ストーリィであり、林芙美子とは別物なのだと思った。 それにもう一つ言えば、森光子さんは見かけは若々しいがよく見ると老醜であり、特に横から観る姿は、首を前に突き出し肩が丸くなっていて残酷である。僕は芝居を観ることに専念するよりは、そのことに強い衝撃を受けていた。 何か年齢の割りに元気だということを売りにしている商業主義が感じられて痛々しい。長期間一つの役を演じるということに、演劇としてどれほどの価値があることなのか? 一人の役者が長く演っているから良いのではなく、良い戯曲だから永い生命があるのだ。 むしろ新しい演技者に代わるとか、これは森光子さんの財産として封印するとか考えられないのだろうか。この芝居は森光子さんあっての舞台だとすると、彼女の名誉のためにも何か考えられるべきだと思う。 これはひねくれ者の常識外れの意見だろうか? 今のままでは森光子さんが可哀相な思いが先に立つ気がする。 約一ヶ月の空白について 09年6月9日 5月17日、突然の体調不良によって2週間の緊急入院をした。原因は年齢を無視した前夜のご乱行、つまり出先である札幌での過度の飲酒であることははっきりとしている。 今までもこれくらいのご乱行は稀なことではないから高をくくっていた。しかしさすがに高年齢を自覚しないわけにはいかなくなった。 入院中はあまり考えなかったというか苦しくてその余裕がなかったのだが、ある程度安定してくると、その期間に予約してあって見逃した舞台の数々がとても心残りになった。 退院が決まってから札幌の親戚で静養していたのだが、図書館が近くにあることを知って、ヨチヨチと歩いて行ってみた。小さな分館で収蔵冊数は少ないのだが、演劇関係の本を読み出すと時間を忘れて読みふけった。 やっと帰宅はできたのだが、二週間の間に溜まった雑用に悲鳴を挙げながら、一人住まいの日常生活も何とかやらなければならない。ようやく今日で普通の生活に戻ることができるようになったが、そういうわけで今後は酒量を考えながら、ストイックに生きられない僕としては、ボチボチと馴らしながら生きていこうかなって思っている。 批評行為について 09年6月18日 村山由佳・作の『ダブル・ファンタジー』という小説を読んだ。余りに長くて図書館の返還日までに読みきれず、2/3くらいのところまで読んで返本したのだが…… この小説は、奈津という筆者をダブらせた才能ある脚本家の若い女性が、「物語を生み出すことへの切実な祈り」(水木ゆうか・評)の、文字通り赤裸々な顛末を描いたものだが、 その内容については今は問題にはしない。 だが、その中に、岩井という編集者でもある批評家が、彼女に語る次のような言葉が鋭く僕に突き刺さった。 「正直、レビューを書いたり批評したりする立場からすれば、そういう作品は厄介なんですけどね。あなたの言う言葉にはなりにくいようなものまでちゃんと捉えて書こうと思ったら、こちらの観る力と、文章面での表現力とが両方とも否応なくあぶりだされちゃうわけだから。」(P350) 僕自身がいつもそのことでの能力の無さと悪戦苦闘しているから、この文章はとても共感と痛感とに充ちた一文であったのだった。一方、この岩井にして、こういう言葉を吐かざるを得ないということに微かな安堵を感じられたのも確かである。 再演と競演 09年6月27日 最近再演や競演の作品が多いような気がする。古い作品や新しい戯曲を含めてそんな気がするのだが、それを意識したのは去年の7月、まったく接触の無いと思われる札幌の『ダリア・リ・ベンジャミン』という集団と、旭川の劇団『劇工舎ルート』とが、同時期に本谷有希子・作の『 遭難! 』を上演したことだった。 最近それが気になってこの一年間の記録を調べてみた。まず三つのパターンがある。 第一は同じ集団が同じ作品を繰り返して上演して練り上げるというパターン。 そして第二は、先行作品の価値を認めて上演するパターン。 最後に第三は、偶然か意図的かは別として、同じ作品を上演するというパターン。 第一のケースには、劇団TPSの『冬のバイエル』、劇団シアター・ラグ・203の『他人の手』『オセロになりたくて』、KOKAMI@networkの『僕たちの好きだった革命』、劇工舎ルートの『薔薇十字団』、劇団イナダ組の『コバルトにいさん』など。 第二は、『秘密の花園』『なよたけ』『天守物語』。 そして第三は『家を出た』『キサラギ』(映画と舞台)などなど。 こうみると、たったこの一年間の記録からの結果だが、意外に同じ集団が再演・再々演しているケースが多い。これは当然といえば当然かもしれないが、やはり僕としてはやっぱり新しい作品が観たいのだ。 他の集団の先行作品があって、僕がすでに観ている場合、どうしても比較して進歩がなければ徒労に終わるからだ。そして何だか、そのケースが多いような気がする。一々調べたわけじゃないけれども、そういう印象が強い。 考えてみると、こういう現象、つまり競演や再演という舞台表現は、別に不思議でも特殊なことでもないのだと気が付いた。なぜ今ごろそんなことを気になったのか逆にそれが不思議な気がする。 一つの集団が再演・再々演するのは、ほとんどの場合、新しい発見や、深さが感じられるケースが多いのだが、先行作品を別の集団が上演した場合、期待外れになる場合が多かった近頃の経験が、そういう思いを誘発したのかも知れないのかななどと漠然とそう思った。 劇団『どくんご』と僕 09年7月26日 3月に『どくんご』の北海道担当劇団員・五月うかさんに、札幌でお会いした。僕は偶然だと思っていたのだが、五月さんは今年の北海道巡演の下交渉のための来道だったのだ。 思えば4年前の05年8月、この『どくんご』の札幌公演を偶然に観て強烈なインパクトを受け、翌日には仲間二人を誘って留萌公演まで追っかけをやってしまい、三人とも虜になってしまったことを思い出した。 それから深川上演まで四ヶ月、NPO法人「深川市舞台芸術交流協会」の主催で実行委員会を立ち上げ4回の実行委員会を開催、ついに7月21日夕方の劇団深川入りから、丸一日がかりのテントの建てこみ、二日間の上演、また丸一日かけたテントの撤去、そして26日午前の離深までの5泊6日、我ながら全精力を注ぎ込んだ日々であった…… 舞台の成果については次号に詳細の報告をするが、この歳になって半年近くものめり込む対象があったことに我ながらビックリしている。 そして8月、同行8名で留萌公演の追っかけをやる準備に余念がない。何でこんなに惹かれるのか自分でもはっきりとは分らないのだ。 この期に観たその他の舞台 演目 佐賀のがばいばあちゃん 観劇日時/09.4.17. 劇団名/劇団NLT 原作/島田洋七 脚本/青木豪 演出/釜紹人 公演形態/旭川市民劇場4月例会 主演/阿地波悟美 ほか 劇場名/旭川公会堂 演目 人生一発勝負 観劇日時/09.6.13. 原作/松崎勇蔵 脚色・構成・演出/結純子 制作/北海道演劇財団(新堂猛) 出演/愚安亭遊佐 劇場名/シアターZOO |