演 目 OYASUMI 1991 観賞日時/DVD記録映像上映会09年3月28日 上演日/1990年 上演劇場名/百貨劇場 劇団名/デパートメント シアター アレフ 作・演出/萬年俊明 上映劇場名/ラグリグラ劇場 |
20世紀の悔恨と21世紀への不安と期待 1990年と1991年は、20世紀と21世紀のちょうど節目の年であると誤解し思い込んだ。そしてそれは20世紀を生きてきた我々にとって悔恨の20世紀であり、期待と不安の21世紀であると思い込んでしまったのだ。 それがトップシーンの少女姉妹に現れる。華麗に点滅する電飾の服装は期待の象徴であろうし、ブランコに乗っているのは不安の象徴であり、この二つが21世紀を象徴する。 いなくなった友人を探す昆虫採集の少年も、20世紀に失った自分の居所を探す存在だろうし、写真屋さんに転職した教師も過去を確定する作業をせざるを得ない人たちのメタファーであろう。 そういう風にみると、すべての登場人物は、20世紀を検証し21世紀に何かを求める存在だといえる。つまりこの芝居は人類の宿命をシンボライズする壮大なメタファーなのだ。それを小さな世界に閉じ込め、エンターテインメントとして舞台に再構築したものだといえよう。 目まぐるしく変化する展開は、一つ一つの意味合いをぶっ飛ばしてめくるめく世界を開陳し飽くことがない。 ラストに近く写真屋になったかつての理科の先生は、リア王、マクベス、オイデプスそしてオセロと典型的な悲劇の男を演じる。人類の歴史は悲劇の繰り返しであるとでも言うが如くに……悲劇とは宿命の歴史であり、宿命とは宇宙・地球・人類などの行き着く過程である。 ほんとうのラストに至って少女のノートのこれからのページは空白であり、これは書きこまれる余地のある真新しい空白であり、虚無の空白ではなかったのであった。 ただここで、ほんのちよっと引っ掛かったのは、タイトルの1991年である。「おやすみなさい」と言うのは僕の見方では1990でなければならない。もちろん正確には21世紀は2001年からだから「おやすみ2000」なのだ。そこに僕の見落としか、別の意味があるのかもしれないのだが…… ■3月の舞台から■ 今月は収穫が多かった。『ミツバチのささやき』と『OYASUMI1991』は別格とする。映像作品だし、一応評価の定まった作品なので秀作は当然だからだ。 ☆ 黄色い果実 gah 説明調がちょっと鼻に着くけど、この説得力は魅力的だった。 ☆ 唐辛子のカケラ yhs これも自分のことを解説しているようなところがあるけれども異世界を覗き見るような新鮮さがある。 ☆ 他人の手 Theater・ラグ・203 これも奥の深さが魅力だ。 ☆ 黄昏はただ銀色 怪獣無法地帯 エンターテインメントと社会性が巧くマッチして最近の大収穫である。 (上演日順) |