演 目
唐辛子のカケラ
観劇日時/09.3.13.
劇団名/yhs
公演形態/Sub-Play Vol.5
脚本/南参+yhs 演出/南参 プロデューサー/亀山統
演出助手/北岡あかね 小道具/井上亮介・福地美乃
衣装・メーク/水上佳奈・小助川小助・岩渕カヲリ
制作/大塚黒・水戸もえみ
WEB/イシハラノリアキ・小林エレキ
劇場名/レッドベリースタジオ

創造者の苦悩

 ある劇団の主宰者で作家・演出家兼俳優(=南参)は、公演のための戯曲作成に行き詰っていた。5本のオムニバスで4本は完成し稽古も進んでいるのに、最後の一本『薔薇の花』がどうしても出来ない。
妻(=青木玖璃子)は新婚だが、夫に従順で優しい。気を遣うのだが、遣い過ぎて逆にそれが夫の苦悩の神経に触る。
この辺の描写はレアリティがあって、二人の愛しているのに噛み合わないじれったさが上手く表現されている。こういう妻は順調のときは良いけれども、こういうときには却って苛つくだろうし、それが妻は分っていないことにも苛つくのだが、優しい彼は思い切ったことも出来ない。爆発しそうになっても一人篭って我慢してストレスを溜め込む。妻も同じだ。
やっと細切れで少しずつ書いている脚本がとんでもないものであった。物語は冬山に閉じ込められた男女が救出を待つが、なぜか男は一人残るから薔薇の花一輪をある人に渡して欲しいと女に託すというシーンだが、その演出法が奇妙なのだ。
台詞は普通なのだが、動きがまったく台詞に連動しないギクシャクとしたまるで、お笑い芸人がギャグでやるようなナンセンスな動きを演出するのだ。
劇団員たち(=吉竹歩・イシハラノリアキ・小林エレキ・小助川小助・福地美乃・岩渕カヲリ・山下カーリー)と新入劇団員(=井上亮介)たちは、必死になってその変てこな動きを一生懸命に動いてみる。
本番間近まで、せっかく稽古してきた変な動きの『薔薇の花』をやるのか、新しい脚本で作り直すのか悩むのだが、結局、作家兼演出家は別の作品に差し替える。
心が変になった作家は、小道具の薔薇の花を食い散らしまくる。いたたまれない妻と呆然とする劇団員たち。
散らかった薔薇の花びらを片付け終わった稽古場の床の上に、一つ残った花びらを井上が取り上げて作家に渡す。何気なく口に入れた作家は顔を歪める。それは花びらではなく、唐辛子のカケラだったのだ。
意外に思ったのは、作家が行き詰ると、すぐ稽古を止めて解散すること。演出家が独裁的に指示し、納得できない演技にも独自のダメ出しをすること、勝手に自主稽古を指示することなど、そしてこれらのことに関して劇団員たちが全く反抗しないこと、従順に従う様子は、これは事実なのか? それとも南参の心象風景を戯画化したのか? もし前者だとすると演劇の創造のプロセスという面で逆にその方法論の方が僕には興味があった。
演劇というのは結局、作家や演出家の独裁の上に成り立っているのであろうか? という疑問である。色んな劇団の稽古の過程を覗き見たいという強い誘惑にかられたのであった。多分それぞれに違うとは思うのだが……