演 目
いつまでも忘れないから
観劇日時/09.2.21.
劇団名/拓殖大学北海道短期大学・拓大ミュージカル
公演回数/第25回
脚本・音楽監督・総監督/土門裕之(教授)  
演出/山田克己(准教授) 演出補・振付/福沢良一(客員教授) 演出補/前田順二(講師)  
舞台美術監督/小西修一(教授) 舞台美術監督補/藤村健一(卒業生)
衣装・メーク・ダンス指導/藤井綾子(講師)
音響指導/淀野順子(助教) 歌唱指導/山本徹浄(講師)  
総監督補/勝谷友一(教授)
総務指導/岡健吾(助教)
渉外広報指導/牧野誠一(教授)・内田祥子(助教)
照明/河野哲男(オフィスカワノ)
音響/富田雅之(ウィークエンド)
劇場名/深川市文化交流ホール「み☆らい」

確実なレベルアップ

 この演目は、大学創立40周年記念として07年2月22日に札幌教育文化会館大ホールで上演されている。それを観た僕はほとんど全面否定の文章を『続・観劇片々』第16号に書いている。まずそれを紹介する。
「当日パンフレットの学長挨拶に『感動体験こそ教育の原点』とある。さらにこのミユージカルは大学の単位になっている。だからこの舞台は芸術表現というより、演劇という道具を使った教育であるとみなければならない。もちろん教育の道具であろうと芸術表現である以上、僕はその観点からしか観ない。
まず一番の問題は、脚本である。大人の社会のイジメからの自殺未遂、そして冥界からの蘇生は、幼くして死んだ弟が守り神になって勇気を出して生きていく……というストーリィだ。
ただしその流れは、余りにも単純で表面的だ。たとえばイジメられて自殺未遂した女が、弟の霊の守りによって救われるというのは余りにも皮相的だ。そんな簡単なものではないであろう。
それにあっさりとコンテストに優勝するというのも単純すぎて、葛藤がないのがシンデレラのお伽噺だ。
次にもったりとテンポのおそい演技が退屈する。そしてダンスの単純で切れの悪さ。さらに合唱の厚みの薄さ……極めつけは舞台装置の貧弱さだ。ものすごい大金が掛けられているようだが、具体と抽象の半端な曖昧さ、意味不明で安っぽい薄っぺらさ。(後略)」
今度の再演を観て感じたのは、脚本の甘さはその通りなのだが、演技者たちがその薄さを充分に補ったということだ。
特にその自殺未遂の女のナイーブな透明感、幼くして死に今や冥界で少年に成長して彼女を助けるが、彼女には分らない存在になっている弟の確かな演技。共に教育的見地からか演技者の名前は判然としない。パンフレット紹介にもグループごとにしか掲載されていないので不確実なので具体的にここでは書けないのだが。
そのほか、彼女に仄かな恋心を抱く後輩の若者とか、掃除婦たちとかが厚みを出して、全体に表現力が格段にレベルアップされて見応えのある舞台を創りだしていた。
ただ、この後輩の若者がバラの花束を贈ろうとするシーンは上手く演じてはいるがいかにも古めかしい。ギャグとして見るしかないのかもしれない。
それと毎回突出して興味を感じさせるショウの場面が、今回いささか低調だったのは残念であった。
一輪車やバック転などの様々な体技や、ジャグジーなどのインパクトが前回までと較べるとかなり見劣りがしたのは何故なのか?
総じて脚本の甘さが感じられるのだが、逆に言うとその甘さを陵駕した学生たちの力を讃えると同時に、僕が以前から言っているように、彼らが率先して彼らの心意気をぜひ脚本に見せて欲しいと痛切に思うのだ。
スタッフ・キャストの学生総数は114人である。