2008年12月
演 目
動機・青ひげ公の城
観劇日時/08.12.6.
劇団名/実験演劇集団 風蝕異人街
『動機』作/ギィ・フォワシィ 『青ひげ公の城』作/寺山修司
演出・照明・装置/こしば きこう 音響/瀬戸睦代 宣伝美術/MIKI 人形製作/福井理絵
出演『動機』ソフィア=三木美智代・ソフィ=宇野早織
『青ひげ公の城』宇野早織・黒柳朋哉・平澤朋美・李ゆうか・佃尚美・松田仁美・三木美智代
平野たかし・村上ユキ・田村嘉規・日高馬子・斉藤秀規・上牧玄
俄のぞみ・三上さおり・遠山達也・城下崎咲
劇場名/BLOCH


 『動機』をリアリズム演劇と規定している。たしかにこの芝居をリアリズム的手法で演じると、一種の短編スリラーとして面白い戯曲である。
貴婦人が抱く、見知らぬ若い女に対する殺意とは何なのか? 結末は「なあーンだ……」というようなあっさりしたものであることが最後に判るのだが、そのおどろおどろしい不気味なプロセスが緊迫する。
だがここの役者たちの演技は、どうもリアリズムとは思えない。一種の「風蝕異人街節」的な独特のエロキューションがある。動きもそうで独特のリズムと身体の使い方がある。
だからリアリズムとは言わず、風蝕異人街的表現と開き直った方が良いと思う。これはこれで独特の不思議な魅力があって、僕はその味が好きで通っているのだから……
それに対して『青ひげ公の城』は、見世物と規定している。たしかにこれは万華鏡のように繰り広げられるお祭りであるが、正に風蝕異人街的な特徴を遺憾なく表現して、何とも奇妙な魅力に引き込まれる。
個々の役者が役柄を等身大として、しかもそれを造られた人物として演じようとする、その矛盾が面白い。何ということもないのだが、悪夢? としての残像が残ってしまうような気分だが、決して悪い夢ではない。何と言うか……悪くない悪夢? とでも言うしかない不思議な感覚である。
演劇集団『池の下』という劇団が、99年3月東京グローブ座で、この『青ひげ公の城』を上演した。そのときの記録を紹介しよう。(第一次『観劇片々』第4号99年7月発刊)
「(前略)この戯曲はメタドラマと言われていて、つまり芝居で芝居論をやっているような戯曲だと言われている。その観点からみると、殺人的なプレーボーイである青ひげ公というのは、演劇に淫蕩しのめりこんだ一種の演劇漁色家であり、その青ひげに絡めとられていく妻たちは、演劇の魅力に魅入られた芝居人達であるという図式が成り立つ。(後略)」
と書き、その後は「(略)自己満足で自己顕示欲の強い学芸会でがっかりする。(略)」と酷評している。
ところが今度の舞台では、そのメタドラマとしての思いがまったく伝わって来なかったのは、その意図が無かったと思っていいのだろうか?