2008年11月
演 目
音楽詩劇 阿娘別曲
観劇日時/08.11.15.
劇団名/(韓国・光州)青い演劇村 公演回数/札幌公演
脚本・演出/呉成完(オ・ソンワン) 芸術監督/キム・キルス 作・編曲/キム・サンユ 振付/ハン・ミョンソン 
演奏(笛)/シン・キョンファン (奚琴)ジョ・タヨン (伽?琴)ジョン・ヒョソプ (牙琴)ユン・セリム
音響/シン・ソンヒ 照明/コ・ウンビ
劇場名/コンカリーニョ
出演/阿娘(アラン)=イ・タングム 都彌(トミ)=キム・ヒョンス ケル王(蓋婁王)=オ・ソンワン 侍従=ユン・ヒチョル
コーラス=キム・ミョンデ ジョン・イルヘン キム・クァンヨン キム・アンスン イ・スルビ 少女=オ・セヒ
劇場名/コンカリーニョ

韓民族の悲劇の歴史

 村一番の美少女・阿娘は、最高の宮大工である都彌と幸せな結婚式を挙げることになった。阿娘を見初めたケル王は都彌に無理難題を持ちかけ、阿娘を横取りしようとした。
何とか抵抗しようとするが、ついに阿娘はなびいた振りをして王を殺害する。
一方捉われて悲観した都彌は自ら我が目を突いて視覚を失くし放浪の旅に出る。都彌を慕って旅に出る阿娘の彼方に現れる都彌の幻影……
この物語を韓国の伝統楽器や伝統舞踊を使って繰り広げるのだが、とても熱いという感じがする。悲劇なのだがエネルギッシュだ。柔な神経じゃない。
おそらくそれは長い期間に経験した韓国民族の悲劇そのものだからであろうか? 他民族の圧政と横暴な施政者たちの下で喘ぐ人たちの精一杯のエネルギーなのであろうか?
その結果としていまの韓国が存在するのであろう。だから最後は悲劇のままでは終わらない。何か小さな灯かりのようなものを感じさせて終わる。
面白いと思ったのは、生理的現象である放尿・放屁それに阿娘にいたっては大の方までギャグ的に使い、しかも放尿は前向きで指を一物に見立てた仕草であり、放屁はいわゆる握りッ屁で客席のしかも最前列に居た僕の目の前で握った掌を開くのだ。
いささか唖然とした僕は、反射的に彼(その役者)の脚をこっちの足で払ってしまった。上手く外されたが、さすがに阿娘はお尻を抱えて草むらの奥へ走り去ったが……
我々からみると下品だと感じるが、彼らはかように大らかで開けっぴろげなのが妙に可笑しい。
舞台の設営が雑であり、黒幕が透けて見えたり袖幕から出待ちの役者や裏方が見えたりするのが大いに集中心を削ぐ。