2008年11月
演 目
アンネの日記
観劇日時/08.11.15.
劇団名/劇団うみねこ
公演回数/アンネ・フランク生誕80年記念プレ公演
作・ハケット夫妻 訳/菅原卓 
演出/鈴木喜三夫 演出協力/小沼なつき 助演出/佐藤けい 演出助手/武部亜沙美・木内彩花
作曲・演奏/廣田幸政 舞台照明/鈴木静悟 舞台装置・協力/藤田博之・藤田赳士 衣装/中村しづか・石田美樹子・南沢千絵 小道具/中島恵・工藤洋子・後藤由美 音響/佐々木雅康・谷明美・石田真梨奈 舞台監督/谷川修二 舞台監督補/川口岳人
制作/吉川勝彦・高橋静江・竹中美保・高野秀子・石澤隆一
出演/アンネ・フランク=福井希 ペーター=道西智拓 オットー・フランク=中田道五郎
エディット・フランク=工藤洋子 マルゴーフランク=武部亜沙美 フアンダーン=西照生 フアンダーン夫人=石田美樹子 デュッセル=吉川勝彦 クラーレル=戯風院遊歩 ミープ=佐藤けい
朗読/千葉美里・高田弥沙・平山久乃・高橋明日香 酒井淑子・木村友香・石橋やちよ・青木夕子 竹内絹代・木内彩花
劇場名/小樽市民センター マリンホール

いまさらアンネ、されどいまこそアンネ

 この舞台劇は、『劇団さっぽろ』が創設まもない頃、友人たちと協力して奔走し、僕の地元・深川で上演して戴いた懐かしい思い出の舞台でもある。
それから茫々半世紀弱、いま世界は、当時に較べて安心して豊かに暮らせるようになったであろうか? あのころは地獄の底から這い上がろうとしてその大きな反省の一つとしてこの芝居の存在価値が大きかったのにも関わらず……
今日上演される劇場のある、小樽へ向かう電車の窓から見える日本海は、晩秋の薄い灰色に閉ざされていて、それはまるでアンネの心境のようでもあり、現在の世界の状況を象徴しているようにも感じる。
そしてときおり射す午後の薄日は、アンネにとってのペーターの存在にも思えるし、さらに穿ってみれば、この薄日はこの『アンネの日記』を上演する人たち、そしてそれを観ようとする人たちの心意気のようにも感じられる。
ところで、さて、余りにも知られすぎる『アンネの日記』をいまさらやるというのもかなりの勇気がいるだろうし、観る方のうち我々の世代も、いまさらという複雑な感じがすることもほんとうであろう。
もしこのアマチュアの舞台が、自己満足の薄っぺらなものだったらどうしようという微かな危惧を抱いて、しかし鈴木喜三夫さんの演出を信じて客席に座ったが、危惧は杞憂に終わった。
死をも免れないかもしれない極限状況の中で、二つの家族と新入りの中年男のユダヤ人8人がナチスの迫害から逃れて狭い隠れ家での共同生活。ときおり現れて食品などを持ち込む支援者たち。
13歳の多感な少女・アンネが残した日記から構成されたその二年間の実録の2時間20分である。
アンネと3歳年長の人付き合いのよくない年頃の男の子ペーター。無邪気な女の子は屋外の空気に強く憧れながらも、大家族の生活とペーターとの淡い初恋を、その世代の女の子らしく楽しく暮らそうとする。
だがナチスの探索網はひしひしと迫ってくる。大人たちの焦慮は皆の暮らしの関係を崩し始める。そして遂にナチスの軍隊がやって来る恐怖の騒音で芝居は終る。
戦後、一人生き残った最大の理解者だった父親は、かつて暮らしたこの屋根裏部屋へ、支援者だった人たちと訪ねてアンネたちのことを思い出す。
この物語は、あの理不尽なナチスと戦争の犠牲者の物語であると同時に、極限の状況の中でも先を見つめて生きた一人の少女の物語でもあるのだ。
ラストの父親オットーの台詞「She puts me to shame」は、「あの子のことを思うと、私は慙愧に耐えないんですよ」(菅原卓・訳)とあるが、鈴木演出はあえて冒険をしましたと記している。僕には「アンネが生きた彼女の人生を信じる」というように聞いたような記憶がする。それはそれぞれの受け取り方として了承していただきたいが、そこのインパクトがちょっと弱かったのかもしれない。
アンネは現代を、そしておそらく永久に生きている。そしてその強制された環境の理不尽さと、その中で一生懸命に生きたその生き方は、常に私たち人間の存在そのものに強い何物かを訴えているのだ。
『劇団うみねこ』は、『アンネの日記』を通してそのことを強く表現し得たことを誇りに思って良いと思う。さらに出演者たちの中に若い人たちが多かったこと、そしてその場に立ち会った満員の観客の中の多くの若い人たちの受け取った想いも……
最近、劇界は人生の機微を細やかに描写したり、ノンセンスな世界を醜怪に肥大化させたりというような芝居が多いような気がして、それはそれで一つの存在価値があるのだが、この舞台のように真正面から取り組んだ素直さも忘れることが出来ないのである。