2008年10月
演 目
シャープさんフラットさん
観劇日時/08.10.12.
劇団名/NYLON100℃
公演回数/32nd session 15years anniversary
作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ 美術/BOKETA 照明/関口裕二 音響/水越佳一 音楽/三浦俊一 映像/上田大樹 
イラスト/(切り絵)古谷あきさ 衣装/松本夏紀 ヘアメイク/武井優子
演出助手/山田美紀・相田剛志 舞台監督/山矢源
劇場名/東京・下北沢・本多劇場

創造の苦しみ

 劇作家の辻煙(=三宅弘城)は、経済高度成長時代に書けなくなって、自らサナトリウムに逃げ込む。
ここは贅沢な施設だ。売れなくなって苦しむお笑い芸人(=廣川三憲・清水宏)を中心に彼らの家族や、捨てたはずの辻の劇団員たち、そしてサナトリウムの職員たちの群像が描かれる。
サナトリウムの職員・塩見実子(=杉山薫)は、ちょっといい加減な劇団員・サニー関口(=大倉孝二)に偶然会う。彼が小学校の同級生であったことから、卒業文集で関口が書いた「世の中にはシャープさんとフラットさんがいて、世間の人と半音ずれている。だがそれだから音楽が成り立つ」と書いていたことを強く記憶に残していたことを思い出す。
辻の死んだ父親(=河原雅彦)が、現在の辻と同じ年齢の亡霊として出現するのは、辻の現在を客観視する装置として面白い存在だ。
映像を多彩に使い特に暗転は、映像のシルエットを攪乱して次第に闇に落とす手法は、心理的に暗転を誘う手段だ。だがこれは以前、同じNYLON100℃の『わが闇』でも表現されていて、そのときは新鮮だったが、それと同じ方法である。
放屁とか、失禁とかの場面があるが、笑いを取る手法としては余り適当とは思えない。それは偏見であろうか? 落語などには多出するが、観客の想像力に任せる語り芸と違って、直接に生身の役者が尿として多分、水を流して演じるのは芸としては些か抵抗がある。
ラストは幻影の劇団員たちが激励に訪れるが、ここで作者と役の人物の関係が語られて、辻は再出発する予感で終わる。
これは作者ケラリーノ・サンドロヴイッチの自伝的な要素のある戯曲だと言われている。
この作品は2バージョンがあって、配役も別々で劇の展開も結末も異なるそうだ。おそらく辻が立ち直れないラストになっているのではなかろうか?