演 目
パンドラの匣/太宰と遊ぼう 遊戯祭
劇団名/演劇公社ライトマン
脚本・構成・演出/じゅうどうげんき
照明/高橋正和 音響/大江芳樹 演出助手/稲田桂
舞台/演劇公社ライトマン 衣装/木島里美
楽曲制作/ラバ(segyar・三島祐樹) 
制作/五十嵐玲美・村山真希・鈴木絵里加
演劇公社ライトマン
出演/岡本朋謙・忠海勇・細川泰史・田村嘉規・
桧谷真由美・武田のぞみ・藤野羽衣子・
フレンチ・重堂元樹・塚本雄介・長岡登美子・
藤谷真由美
劇場名/琴似パトス

小説の立体化

 舞台装置をみたら四台のベッドが置かれていたので、これは原作の結核療養所を舞台に物語が展開するのだろうとは思っていた。
実際に芝居が始まると小説がそのまま演じられる。しかも原作は、結核という病気で療養中の20歳の青年が友人に出す何通もの手紙の文章が即、小説になっているわけで、この舞台は、その手紙の文章をほとんど一人の俳優が読み上げるという形をとっている。
当時は特効薬のペニシリンが発見される以前だから、結核は死の病として恐れられていて、結核療養所を舞台に設定した小説はたくさん作られている。
ところがこの芝居は小説をそのまま立体化したに過ぎないのだ。小説と芝居はそもそも表現の形式が違うのだから、こういう方法だと小説を読んだ方が良いとなってしまう。
僕は、以前、文芸の形式を4種に分けてそれぞれの特性を考えたことがある。『続・観劇片々』第1号(03年3月刊「後記」)である。今読むとかなり舌足らずのところがあるが、基本的にはその通りであると思っている。
小説をそのまま立体化しても、それは演劇にはならないと思われるのだ。啓蒙的な役割はあると思うし、それなりにきちんと表現していたのだが、演劇表現に対するチャレンジがないのが寂しく思われる。