演 目
暗黒☆歌劇(アングラオペレッタ)狂人教育 
観劇日時/08.9.14.
劇団名/流山児★事務所
東京×香港国際共同制作
作/寺山修司 演出/流山児祥 音楽/本田実
振付/北村真実 形態指導/エンディ・ン
翻訳/E‐RUN 照明/横原由佑 音響/島猛・齋藤貴博 衣装デザイン/バッカス・リー 
舞台監督/吉木均 演出助手/諏訪創 稽古場通訳/在川由紀・横関剛 メイク/青木砂織 
舞台助手/小林七緒 衣装助手/平野直美 
協力/九条今日子・早稲田大学演劇博物館・青森県近代美術館・テラヤマワールド・ほか
劇場名/コンカリーニョ

寓話性の強い物語

 日本人の男6人が人形遣い(=沖田乱/甲津拓平/武田智弘/V・銀太/イワヲ/里美和彦)で、中国人の女6人が人形である。この人形と人形遣いを中国人と日本人とに分けたことが、そもそも一つの寓話性を物語っているようだ。
それは日本と中国との現実の関係だけには留まらず、ある集団と他の集団との関係性をも表現していると思えるのだ。
嘘吐きで斜視の祖父(=洪佩菁)・猫マニアの祖母(=E‐RUN)・どもりで赤面対人恐怖症のパパ(=秀妹)・男好きの姉・マユ(=陳彩?)、蝶収集家の兄・鷹司(=王美芳)・そして末妹で小児麻痺の少女・蘭(=蔡?軒)という仲の良い家族だが、なぜか母が居ない。
この家族に母が居ないということ、末妹が身体不自由者であるということ、それぞれの個性がそれぞれの特徴をもっているという設定が、寓意を物語って想像力を掻き立てる。
これもある集団の構成の具体的なシンボルと考えられるが、特定の集団や構成人員を象徴するものではない。それぞれの観客がそれぞれに思い至れば良いわけで、様々な想像が出来るところに普遍性が強くそれだけ面白いのだ。
一家の権力者である祖父が、法医学者ドクの話を信じて、「家族の中の狂人を探し、家名と名誉のために密殺しよう」と提案する。これも強烈な寓意だ。余りにも生々しく強烈で、斧を持ち出すに到っては、直接過ぎていささか引いてしまう。
ともあれ、様々な寓意がどんな意味を持つのかという想像が、観客の創造となって飛躍する。
オリジナル戯曲のイメージでは、マユの言う「人間があたしたちの下にいて、あたしたちを操っていて、そう、ゆめのなかでゆめの番をしているときみたいに、あたしたちはいつでも醒めていて、本気で熱狂することもなく、ただ動かされるままに動き 約束の時間だけしか人生がない、そんならいっそのこと、踊って踊って人形が壊れてしまうまで(後略)」の台詞による刹那的な印象が強い。
だが、独特のメークアップの人形である女優たちが、それぞれの居場所である、それぞれのパステルカラーで内部を覆われた旅行用トランクを上手く使って物語が展開され、それが様々なメタファーを構築する。
狂人(=蘭)抹殺の後、人形遣いと人形が逆転し、黒子の男6人が人形となり、人形である女6人がその男たちを操る原作にはないシーンは強い意外性のインパクトがあった。