演 目 しんせかい 観劇日時/08.9.9. 劇団名/FICTION 公演回数/Vol 30 作・演出/山下澄人 照明/広瀬利勝 音響/長谷川浩一郎 宣伝美術/西山昭彦 企画・制作/OFFICE FICTION プロデューサー/白迫久美子 共催/FICTION旭川公演実行委員会 制作協力/川谷孝司 劇場名/旭川・シアターコア |
生きる人々 マンガ喫茶を定宿にしている若い男・コタニ(=竹内裕介)は大学出であるが、一種の対人恐怖症なのか、いつもプロレスラーのような被り物をして素顔を隠している。 灼熱の街角に座り込んで、フアストフードの焼きそばを掻き込みながら携帯電話を駆使して、その日限りの日雇い作業の求人を探している。 だが、住所不定の彼を使ってくれる所はない。自嘲してその日も24時間営業のマンガ喫茶へと赴く。そこで彼は大きなバッグから二つの位牌を取り出して拝み、今日の報告をする。それは彼の両親のものであった。 そんな彼に、一ヶ月の期間限定ながら住込みの工場作業員の仕事が舞い込む。 雇用主・オオキ(=山田一雄)は、待ち合わせ場所で出会った、脚を怪我しているホームレスのガンジーと称された唖の男(=荻田忠利)に治療代を恵むような男だ。 オオキの零細工場では、女子従業員のみちこ(=福島恵)がオオキに「コクられた」といって職人で恋人のイケタニ(=山下澄人)が玩具のピストルを振り回して大暴れをしている最中だ。イケタニは片足が不自由だが粗暴で傍若無人だ。 ピストルが本物だと思ったコタニは、失禁するほどの衝撃を受けるが、ここの労働者たち、ミウラ(=井上唯我)は小児麻痺の後遺症で全身が不自由であり、アレク(=大西康雄)は金髪のロシア人であり、ホモ嗜好者であり早速コタニは狙われる。 ことほどさように登場人物たちは心身にマイナーなイメージを持つ人たちばかりだが、イケタニの粗暴さにはなれていて、適当に合わせて平和を保っている。 オオキは後一ヶ月の命であると宣言される。労働者たちは、オオキの死後の去就を考えるが、基本的に成り行き任せでそれほど深刻には思っていない。彼の死さえギャグにしてしまう強かさである。 その中で粗暴なイケタニだけが「死」とは何かを考え始める。彼にとっての「死」とは、現在がなくなるだけのこととしか考えられないが、その「無」という概念が想像できずに苦しむ。 無口の青年コタニが突然、訥々と死に向かうオオキが憧れていた近くの山にこの世の名残に連れ出そうと提案する。 賛成する皆な、オオキの告白を受けたみちこは死目前のオオキの看護に尽くすことを告げる。三人の関係を論じる皆に自分の意思が入っていないと主張するみちこ…… 山行きに大騒動があって、やがて夕焼けの山頂での晩餐、それから5日後、オオキは逝く。 残った4人は工場を続け、一ヶ月の契約だった青年コタニはまたマンガ喫茶に戻らなければならない。両親の位牌と共に前途あてのない生活に戻ることが「しんせかい」なのか? 冒頭、ウサギの被り物を被った夫婦(=山田一雄と福島恵の兼役)は裸の乳飲み子(本物=山田茜)を抱いて登場し、小声で無意味らしい難しい議論をしながら、コタニが残してゴミ箱に捨てたヤキソバを拾って帰る。 そしてラスト、こんどは少し豪勢に寿司や菓子パンを買い込んだコタニは、もう被り物を外しており、あの夫婦が再び登場すると今度は手付かずのパックのままの食べ物をゴミ箱へそっと入れる。夫婦はやはり小難しい無意味らしい議論をしながら、そのパックを取り出して帰って行く。 これがコタニの「しんせかい」なのか? 確かに新しい世界へと向かう向日性は感じられて好感が持てるのだが…… 気になったことを……イケタニの性格が、オオキの死を知ってから豹変するのが不自然に感じられること。 本物の赤ちゃんは終始ニコニコとしていたが、裸で大丈夫なのか? 途中でグズらないのか? などと余計な心配をしてしまった。 山下澄人が、本来の芝居の流れとは関係のないところで照れ笑いや苦笑いをする。これは演技とは思えないし、いくら笑いを取りたい部分でも不謹慎の感じが強い。柄本明にも共通する苦言である。 |