演 目
セイリング!
観劇日時/08.8.2.
劇団名/プラズマニア
脚本・演出/谷口健太郎 照明/相馬寛之 音楽/斉藤いずみ・丹冶誉喬
アクションコーデネート/浦本英輝 宣伝美術/星雅也 写真/常本明日香 舞台/上田知 
映像/DAN・上田竜平 演出助手/谷原聖 振付/喜井萌希
劇場名/BLOCH

エンターテインメントの時代劇

 幕末、長州と薩摩の反目と連合そして大政奉還の歴史的事実を横軸にした背景に、桂小五郎の野心、翻弄される剣豪・黒崎鏡吾とその真意が分らず反抗を続ける未成年の息子・迅介との葛藤という分かり易い話を縦軸にした時代劇。
ただし具体的な考証はまったく考慮されてはいない。それらしい雰囲気を持たせているだけで、劇中「こんな時代劇なんてあるものか!」などという戯言のギャグまで登場する。
「熱いステージ。疾走する舞台」を標榜する集団だから、全編怒鳴り叫ぶが、これまでの舞台は、その熱さと疾走感が浮いてしまって肝心の物語のリァリティが薄く、深みが足りないのがこの集団の大きな欠陥だった。
それが今度の舞台ではそれがなく、感情移入しやすくエンターテインメントとして成功した舞台となったようだ。
桂小五郎(=太田真介)の私怨に利用されながら、わが子・迅介(=村上義典)を思う父親・鏡吾(=谷口健太郎)、その真意を分からず徹底反抗する息子・迅介の話は通俗的とは言え物語を構築し、最後に父の心が分かって、桂小五郎一味との壮絶な殺陣は形ではあるが良く魅せた。
例によって不満を二・三挙げてみよう。まず鏡吾の苦悩が、妻(=下山美里)を助ける為に桂小五郎に利用されて逆に妻を抹殺されたという設定。個人の幸福と暴力の連鎖を断ち切るという方向を選んだ鏡吾は、現代的な志向傾向ではあると思うけど、歴史的心情としてはどうなのか? むしろ日本の将来に対する思いとの両方の選択で悩んだほうが深まるのではないのか? 単純過ぎなかったかと思う。
次に、高杉晋作が創設した「奇兵隊」は、百姓や町人まで志願者を加入させたというが、桂小五郎の日本征服という野心によってさらに増強するために女子供も採用したという設定は、事実か架空かわからないけど、事実としても女性剣士が第一線で活躍するのはかなり難しい。嘘っぽいのだ。という引っ掛かりはあるけれどプラズマニアの舞台としてはようやく一定の評価ができる舞台に出会ったと思えるのだ。
そしてラスト、桂一味と黒崎一党との死闘は桂の方が押され気味だが、桂が死んだら歴史が変わってしまう。どうするのかと思ったら途中で急激にフエイドアウトする。
次のシーンでは、現代人の妻・鏡吾の妻の未来形である棗(=下山美里)と、迅介の未来形である受験生の息子(=村上義典)の待つ中流家庭へ、鏡吾の未来形である単身赴任らしい夫(=谷口健太郎)が久しぶりに帰って来る、という幕末に悩んだ黒崎鏡吾の夢見た三人の平和が訪れるという場面で一種のハッピイエンドであり、これが言いたかったのであろうか……
その他の出演者。喜井萌希・妹尾元気・對尾華夜・吉田美穂・黒沼陽子・入江千鶴香・黒部玲士・
奥村信吾。