編  集  後  記


 前号の訂正               08年7月1日
P33『杭抗(コックリ)』の記述中、「時代を超えた人間のあるDANを表現している」と書いた。[DAN]は文脈からいって当然[DNA]の間違いでした。単なる書き間違いだが改めて訂正します。うっかりミスです。真摯な愛読者の方からの指摘でした。有難うございました。

マイナーな芸術としての演劇      08年7月5日
深川西高校の学校祭では講堂行事として、毎年各学年の4クラスを縦割りにして「アピール」「行灯」「演劇」をそれぞれ創って覇を競う。この演劇を連合演劇といって深川西高校の伝統行事になっているらしい。
その他に講堂公演として「吹奏楽局」の演奏その他がある。僕は本番当日の6日(日)には札幌で観劇の予定があったので全てを観ることが出来ず、そのかわり4日にゲネプロと5日の本番の一つ、そして吹奏楽局を観た。というか吹奏楽は聴いた。
非常に感じたのは吹奏楽の完成度に較べて、各クラスの演劇が全く演劇の体をなしていないことだ。ところどころに煌きはあるのだが、演劇の表現ということについての定石がないのだ。もちろん定石を超えた破格の表現というものもあるのだが、それは定石を踏まえた上でのことであろう。
この現象の原因は、指導者が居ないということに尽きると思われる。その証拠に吹奏楽は技術も識見もある教員の指導者がきちんと指導しているのが分る。
スポーツの強い学校もやはり良い指導者がいることが基本になっている。演劇もその例に漏れない。各種の大会で良い成績を挙げる学校は必ず良い指導者がいる。
そういう意味で深川西高校の演劇は、これだけ力を入れているのに成果が上がらない。つまり演劇がマイナーであるという感じがするのであった。
演劇が音楽や美術に較べて一般的にもマイナーである地平から抜けられない現状であると思われるのだ。
最近では小中学校でも一般に芸術教育がないがしろにされる傾向があるそうで、それはそれでまた悩ましい状況ではあるまいか。

子どもの劇団              08年8月31日
私の住む深川市には何と5つの劇団がある。その他にも在深の大学が毎年1回のミユージカルを学校挙げて上演している。わずか人口2万5千人の街には信じられない状況だ。それぞれがそれぞれのコンセプトで最低年1回の上演を行っているのだ。
さて今日は、その内の一つ『劇団つくし』の公演があった。この劇団は観客組織としての「おやこ劇場」会員の大人たちがプロデュース、会員の小学5年から高校生までの児童生徒で構成され、団長は高校生である。
脚本は子どもたちの集団討議で提案された原案を、母親の一人である岡安良子が纏め、それを外部の演出家・島田裕之が舞台化し、会員の親たちが全面的に裏方でバックアップするシステムである。
今度の公演は4年前に上演して好評であった作品『夢幻の明日』の改訂版・再演『明日へ』であった。ある女の子が難病によって余命二ヶ月と宣告され、その二ヶ月間の必死に生きた顛末を描いた物語である。ラストのドンデンもある。
前回も観劇したが、脚本は前回に較べてかなり引き締まってはいたが、逆に出演者の演劇に対する心構えのようなものに極端な差がありすぎて、そこを埋められなかった演出や大人たちの目配りが足りなかったような気がする。
参加することに意義があるという立場もあろうが、やはり入場料500円をとって公演するからには、そういう隙を見せるべきではないと思う。前項の記事とも関連するが、やはりきちんと創らなければ、演劇のマイナー表現としての位置は抜け出られないであろう。
ただし演劇愛好者の底辺拡大と、演劇に対する関心を深め強める場としての存在は大きい。そこに期待することも大きいのだということを言いたい。(敬称を略しました)

イヨネスコの『授業』と同じく『椅子』   08年9月2日
前号で、『授業』のラストで教授がハーケンクロイツの腕章をしていることに疑問を呈した。
そのときからこれはオリジナルテキストにあるのか、演出なのかを考えていた。やっとテキストを読むことが出来た。「イヨネスコ戯曲全集1」 安堂信也・木村光一共訳(白水社70年11月刊)。ここでは地元の図書館にない場合、他地の図書館から借りるので時間が掛かるのだ。
テキストには確かに、「女中がハーケンクロイツの腕章を取り出し教授の腕に巻く」というト書きがある。しかし後注には「パリ上演(1951年2月20日)ポッシュ座マルセル・キュヴリェ演出では、腕章の件とそれに付随する二つの台詞はリズムを緩めないためにカットされた」とある。
僕はリズムの問題ではなく、イメージを限定させないために、このト書きはカットした方が良いと思うのは、前回の劇評に書いた通りであると思う。
同じ全集に安堂信也訳『椅子』も所載されている。僕が疑問に思ったのは、ラストで老人の意思を代弁する役であるはずの聾唖の弁士が、鞄の中から取り出した紙片に書かれた文言の意味である。
このテキストでは紙片ではなく、意味不明の呻き声と黒板に書く「ANGEPAIN」「NNAA NNM NWNWNW V」「∧ADIEU ∧DIEU ∧P∧」という語句である。
後注によると、駄洒落や語呂合わせが多いようだから、この語句もそういう類のものかも知れない。「天使」「パン」「さようなら」などと読めるのであろうか、あとは聾唖者が発声に苦しむ意味をなさない呻き声のようなものであろうか? 中々面白い紙片の文字だが考えさせられる。

全道高校演劇大会北空知支部大会     08年9月19日
表記の大会、と言っても参加3校の演劇を上演して優劣を決め、最高賞の学校演劇部の作品が全道大会の出場権を得るというものだ。
参加校が3校というのも、男子の出演者やスタッフが極端に少ないといった問題もいろいろとあるのだが、今回はその一つの内容に言及してみたいと思う。
滝川西高校演劇部の『二律背反』は、自分たちの演劇部の悲惨な状況を等身大に自虐的に描写したものだが、もちろんラストで「やる気のランプ」という光が見えるというシーンがある。
その中で、「新聞局の全国コンクール出場」「吹奏楽部地区コンテストで金賞」「書道部と美術部の全道大会出場」「放送局全国3位」「軟式野球部の全国4強」などなどを羨むシーンが出てくる。
これは事実なのだが、それに較べて「演劇部」は部員女子のみ4人のうち、部長は就職活動に専念するために今年の地区大会は不出場、一人は1年生でまだ一度も演劇部での活動がない、3年生の残る2人のうち、一人は講習に出掛けるという惨憺たる現状である。ほかの部活が文科系を中心にこのように活発に成果を挙げているのになぜ演劇部は痩せ細っていくのか?
演劇というものがマイナーな表現だということは何故なのか? ということに慄然とする思いに捉われる。参加校が減少するとか男子が居ないということも、魅力の少ないことが原因であろうか?
演劇に携わる者の一人として、演劇が若い人たちにとってなぜ魅力が少なくマイナーになっていくのか、ついに分らない焦慮に苦しむのだ。
三校ともレベルは低い。レベルが低いから魅力を失うのか魅力が少ないから参加者が減るのか悩ましいところだ。強力な指導者が待たれる。

アーカイブス その2          08年9月25日
前号で自分自身の古い記述を読んで、初心に帰ることの大事なことを痛感したと書いた。その後も古い観劇記の一覧表作りをやっていて、またまた頭の痛い記述を発見した。
次にそれを転載する。初出は『風化』92号(1993年11月25日刊)「観劇片々(92年後半その2)」の文中「途中下車」と題した一文である。
清水正著「宮澤賢治を読む『注文の多い料理店』の世界」の一節。(P8)
「作品に対して問うことは、自分自身に対して問うことでもある。自己存在に向けて<問う>ことの出来ない者が、作品世界に向けて問うことなどできはしない。批評衝動に襲われることもなく、作品批評に手をそめることなど作品に対する冒涜である。」
同じく清水正『宮澤賢治の神秘的世界―風の又三郎とよだかの星を巡って』(P132)
「作品から何らかの想像的刺激を受けることなく批評に手を染めることはできないし、その作品が自分の存在に深く関わってもこないのに何やかや言うのも邪道であろう。読む側の主体を度外視した批評など閑人の戯言にすぎない。作品(対象)に寄り添い、その世界に深く潜入し、底の底の底の、もはや何も「ない」という無にまで突入し、そしてその底知れぬ作品から再び離陸する発進力を備え、与えられた眼前の作品を通してもう一つの作品を自らの裡に創造し得るだけの想像力がなければ批評のダイナミズムはうまれない。(略)作品に感動を覚えない者は黙するがいい」
さらに蜷川幸雄の「(ある劇評に対して)一度でも現在の自分を疑ったり、劇評を書く自分に恐怖を抱いたりしたことがあるんだろうか」『千のナイフ千の目』(P123)
いずれも先鋭的であり攻撃的であるが、僕にとって痛い指摘であると同時に、初心に帰るべき指針でもあることを改めて深く心に留めたい言葉たちである。

小誌に紹介した以外に、この期に観た舞台 08年9月30日
いろいろな理由でこの期にも紹介できなかった舞台が4本ほどあります。題名・観劇日・作・演出・劇場名などだけを掲出しました。
寿外伝 憂世皺寄亀吉仇(うきよのしわよせかめきちのあだ)
観劇日時/08.8.9.  劇団 亀吉社中 旗揚公演
作・演出/村上孝弘  劇場名/レッドベリー・スタジオ
テルデルボーの復讐 
観劇日時/08.8.9. エンプロ・プロデュース公演Vol.8 
企画・脚本/遠藤雷太 演出/南参
劇場名/BLOCH
黄昏のララバイ 
観劇日時/08.8.28. 劇団 にれ 第43回 創立50周年
作/中村守己 演出/関口英一
劇場名/札幌教育文化会館小ホール 
6週間のダンスレッスン 
観劇日時/08.9.14. 
平成20年度・文化庁「舞台芸術の魅力発見事業」
作/リチャード・アルフィエリ 
翻訳/常田景子 演出/西川信廣
劇場名/深川市文化交流ホール「み・らい」
以上