演 目
怪談 牡丹燈籠

観劇日時/08.6.23.
劇団名/白石加代子 百物語
公演回数/百物語シリーズ 第24夜
作/三遊亭円朝 構成・演出/鴨下信一 美術/中越司
照明/高橋英哉 衣装/江幡洋子・池田洋子 
着物協力/井上清造 結髪/笹部純 舞台監督/太刀岡正
写真/白井直樹 宣伝美術/森崎偏陸
制作/佐藤竜太郎・對馬静子 企画/笹部博司
公演/岩波ホール 製作/メジャーリーグ
劇場名/深川市 文化交流ホール み・らい

台本を読むことの疑問

 ちょうど去年の6月、松竹製作による『怪談 牡丹燈籠』を観た。三組のペアは、若い恋人・萩原新三郎とお露に井上恭太・石原舞子、強欲な中年の夫婦・伴造とお峰に前田吟・水谷八重子、我欲を通そうとして自滅するカップル・宮野辺源次郎とお国に川野太郎と坂口良子である。
そのときに記録によると「(要約)欲望と野望と裏切りと自滅のペシミックな世界だ。観ていて寂しくなるような世界だった。歌舞伎や落語を初め、日本の伝統芸能には、このテーマが根強く引き継がれているのが良く判る。さすがに怪談の場面は判っていてもヒヤリとし、自分自身や自分にまつわる人々の弱さが痛感され、一人住まいの我が家に帰っても自分は悪いことはしていないという自信はあるのに、どこか自分の知らないところで何かをしているのではないかと思うと、暗い部屋が怖かったくらいだった」と書いている。
何が言いたいかというと、それくらい迫真力があったのだった。ところで今日の舞台はどうだろう?
確かに白石加代子は迫真力では凄い。だが台本を読むことでその力は分散されてしまう。落語はやはり独演だが、もちろん台本は見ないし、口演者によって大きな個性の力が感じられる。
松竹の芝居を観たばかりだったせいもあるかもしれないが、やっぱり視線が台本に行く事によって、客観化され観客の感情移入が弱められ、気持ちが冷めてしまったのではなかろうか?