演 目
Wielopole Wielopole
タイトルはポーランド語であり、韓国語に訳したものも判りませんが、多分、打撃音というような意味があるようです。
僕は銃声のダダダーンという感じかと思います。

観劇日時/08.5.11.
劇団名/(たぶん)『青波』という名だと思います。
公演回数/ソウル演劇祭 参加作品
主催者/韓国演劇協会
スタッフ・キャストは韓国語につき一切判りません。
劇場名/韓国文化芸術委員会アルコ芸術劇場 中ホール (キャパシテーは450くらいか)

破壊と殺戮の歴史

 韓国語で演じられるので台詞はまったく判らない。この眼で観たことだけを主観的に報告することにする。
裸の舞台に古ぼけた木で作られたテーブルや椅子などの家具が5・6脚、投げ出されたように散らばっている。舞台の奥も左右の両袖内部も、舞台用の器具類などが見える、がらんどうの素顔が見えている。
中央の椅子に、白装束の女が滑り落ちそうな形で座っている。だがそれは魂のないマネキン人形だった。
男が一人、気だるく何かを考えているように出てきて、やがてそのマネキン人形を抱え挙げて静かに奥に消え、人形を置いて再び出てくると、両手を挙げゆっくりと下へ下げる。
すると舞台奥に背景の描かれた板が降り、両脇には黒い幕が降りる。ガラクタの置かれた舞台空間は三方を囲まれ、それは男がどこかに閉じこもって、心を自分一人だけの中に抱え込むようなイメージとなる。
音楽が鳴りバックの板の一部が開くと、6人の男女が一列になって登場する。かれらは奇妙な動きをする。それはまるでこころを失ったロボットのようなギクシャクした動作だ。
その後ろを十数人の武装した兵士が、やはり同じような動きで登場し、それぞれが自分で持ってきた古ぼけた木製の椅子を並べて座り、心のない物体のような奇妙な動きで蠢く。
市民たちの滑稽なやり取りは、台詞が判らないから良く理解できない。
やがてその中の女性と一人の兵士の多分、結婚式が行われる。それもリアルな動きではない。相変わらずロボットのような奇妙な動きである。この兵士はおそらく最初のただ一人の現実的な動きをする男の回想であろうと思われる。
轟音と破壊音によって殺戮が行われる。市民も兵士ももろともだ。そしてそれは何度も何度も繰り返される。写真師が登場して集合写真を撮影するが、最後に旧式の大きな写真機も軽機関銃と化して大量殺戮が行われる。ニヤリと笑う写真師とは何者か?
作者カントールの生国・ポーランドは、ソ連やナチスによって長い間、殺戮と破壊による壊滅を受難した国だ。その暗い歴史がその中を生きた一人の男の苦悩の回想で表現された舞台であったと思われる。それは朝鮮の歴史とも重なるのであろうか?
男は殺戮の当事者でもあり、被害者でもあったのだ。彼自身も何度も何度も軽機関銃の対象となって殺される。
彼はラストに「アボジ」と何度も呟くようにまた叫ぶように言うのは、父親と自分とをつなぐ歴史の感慨なのであろうか?
台詞は全く理解出来ないのだが、鍛え抜かれた象徴的な動きは心を失った人間の奇妙なリエリティを感じさせ、一方、市民たちは軽快で生き生きとした現実の動きから、突然、兵士たちと同じ奇妙な動きになってその落差が悲劇として充分感じさせられる。
ダイナミックで迫力があり、象徴的でエネルギッシュな表現は、悲劇の巨大さを充分に感じさせる異形の舞台であった。