演 目
歌わせたい男たち
観劇日時/08.4.8.
劇団名/二兎社
公演回数/34
旭川市民劇場4月例会
作・演出/永井愛 美術/大田創 照明/中川隆一 
音響/市来邦比古 衣装/竹原典子 演出助手/鈴木修
舞台監督/菅野將機 制作担当/弘雅美・安藤ゆか
劇場名/旭川公会堂

自己規制の怖さ

 ある都立高校の卒業式の朝、8時10分前の保健室。壁の時計がその時間を指し、舞台上の進行は式が始まる20分前までの約1時間50分に亙ってリアルタイムで展開する。
卒業式に「国歌」と「送る歌」そして「校歌」の斉唱を伴奏する音楽教師・仲ミチル(=戸田恵子)はミス・タッチと綽名されているくらいピアノがヘタで、今もその猛練習中、めまいを起こして休養中だ。
実は彼女は、前任者が国歌の伴奏を拒否したために、理由を構えて退職させられたために急遽採用された40過ぎの売れないシャンソン歌手だった臨時講師なのだ。
行政の陰湿なそれとない締め付けと、現場の教師たちとの間に立って、苦しみながら何とか不起立・不斉唱の教師たちを説得しようと懸命な校長・与田(=大谷亮介)。
大家族を抱えて清貧な社会科担当で卒業生の担任教師・拝島(=近藤芳正)は、不利と知りつつ不起立・不斉唱を貫く。
彼は元々がノンビルと気のいい性格の男だが、この一点は譲れない。簡単に「頑迷な左翼だ」と評されては、ますます譲れない一徹者でもある。
熱血漢で国を愛することがグローバルな愛に繋がると信じて、国歌・国旗を愛する生徒を教育しようという単純な英語教師・片桐(=中上雅巳)。
この部屋の主で、誠実だがどうしていいのか分らない養護教諭・按部(=小山萌子)は甲斐甲斐しく男たちの世話をする。
仲ミチルが何とか国歌の伴奏が出来るように説得を試みる校長、頑なに拒否し不起立・不斉唱を貫く拝島。過激に説得しようとする片桐。その過激な力ずくを止めようとする校長。
滑稽で情けない混乱の中でゆれる音楽臨時講師・ミチル……これが1時間50分に亙って続く。
式の自由についての校長の主張は「教育委員会の通達は、あくまで通達であって、各校の自由は無限にあって、窓に暗幕を張り巡らせる自由、紅白幕を張る自由、国旗を掲げる自由、国家を斉唱する自由、全員が正面国旗に向かう自由、その他すべてに自由はある」という不思議な自己規制的主張。
狂気の校長は、屋上から自分が10年前にある教育雑誌に書いた「内心の自由」について本人は現在、考え違いであって今は「外形に表れた行為は内心の自由を制限するものではない。国歌を歌いたくなくても歌うという行為は、内心の歌いたくないという自由を冒すことにはならない」という奇妙な詭弁を全校に向けて叫ぶ。
拝島は論争に負けそうになるとテーブルに座り込んでシャンソンを歌うひたすら歌う。手を出せない校長と片桐。
二人だけになった開式20分前の保健室、拝島のレクエストでミチルはシャンソンを歌う、絶唱だ……
拝島は、めまいで倒れたときにコンタクトを失くしたミチルに頼まれた近眼鏡を、国歌の楽譜を見るためには貸せないと強硬に言っていたのに、そのシャンソンを聴きながらそっと、その眼鏡を置いて出て行く。知らずに歌い続けるミチルで幕は降りた……。
与田校長も一種の被害者であり、ここまで追い込んだ行政は知らぬ顔で何のために深く静かに無理強いするのか、自己規制せざるを得なかった発狂寸前の校長に哀れを感じるのだ。
これは国歌・国旗からの自由をいう命題を超えて内心の自由に関わる重大な人権の問題だ。日本はこの点において本当の民主主義ではないわけだ。
ラストで狂気の校長が、屋上から内心の自由について噴飯ものの演説を、片桐が煽り按部がしがみ付く。そのとき煽っている片桐が生徒たちに向かって拍手を煽る。勘違いした観客の一部が拍手をしたが、その内容に拍手をしたのではなく、校長の演技に拍手をしたという良識を信じたい。