編  集  後  記


■積み上げられた芸の力       08年4月20日

札幌在住で昔なじみの腹話術グループ「腹笑会」会長、小野征彌くんが、当地で腹話術の公演をした。実に40年ぶりの再会であり、4月19日、深川おやこ劇場の主催で、会場は文化センター2Fアトリエである。
腹話術で一時間を持たせるのは、特に幼児を含む子どもたちには無理だと思ったのか、カップ・シアターという紙コップを巧く使って、いわゆるテーブル・シアターとしては洒落ていて、このような少人数の会場では楽しい出し物であった。
ただテーブルをトントンと叩くとき、意外に大きな音がしてちょっと雑音を感じる。
続いて新聞紙を使って、これは物語というよりは、簡単で意外な物を作り出すちょっとした工作というようなもの。子供たちと一緒に遊ぼうよ、という感じ。ここでちょっと気になったのは、終了後に新聞紙の破片が会場に散らばったのだが、それを自分たちで片付けさせずに、親たちが片付けたということ。そこまでの指導というか示唆をするべきであったと思う。ここにも過保護の一面が如実に露呈した。
続いてメインの腹話術は、演じる小野征彌の40年に亘る芸の力の独壇場。彼はアマチュアであるが、この道40年の研鑽を積んだ大ベテランでありさすがにつぼを外さない。僕も冷静さを忘れて笑ってしまった。
この感覚は何かに似てると思って、考えてみると落語の芸にそっくりなのだ。落語は一種の社会批評という形の喜劇性と、人情噺といわれるヒューマンな物語があるが、そういう意味では、この腹話術にはその意味での深さはないかもしれない。他愛ないギャグの応酬であるが、それが子供たちのドツボに嵌って爆笑・哄笑が絶え間なく続く。
単純に笑いを楽しむという、この方向性は一つの強力な個性として貴重な存在であろうか。とにかく楽しめたのである。
だがあえて苦言を呈する。
1 衣裳がスーツにネクタイであったこと。この場の雰囲気に似合わない硬さを感じるから、もっとカジュアルな装いの方が良くはないか?
2 子供に問いかけるとき、会場全体を見回して指名せず、自分の思う方向へいささか強引に引っ張って行くような印象があること。もっとゆっくりと全体をみて客との会話を通して雰囲気を盛り上げてほしいと思う。
3 慣れのせいか、人形のター坊との会話が滑る部分があった。特にター坊の発声にやや歯切れの悪さが感じられる。テンポがいいので見過ごされそうだが、丁寧に余裕をもって演じて熟成を示してほしいと思った。
ともあれ40年ぶりの再会は、その長い空白の時間を一気に縮めたのであった。



■デパートメントシアター・アレフ  08年4月26日

4月の末から約一週間に亙って紀伊の國屋書店札幌本店で『デパートメントシアター・アレフ回顧展』という展覧会が開かれた。
「アレフ」という劇団は1983年から90年までの8年間に亙って札幌を中心に活動した集団であり、劇団でありながら、ロックバンド・映像・ダンスなどの表現世界と縦横無尽に交錯し、走りぬけ、小劇場を中心に廃墟・野外・屋上・フアッションビルの一角など多彩な空間で様々な仕掛けを楽しむように展開した集団である。
その8年間の17作品全てを、作・演出した萬年俊明氏が06年3月、47歳という若さで永眠されて2年が経ったので、この度、当時の同志たちが回顧展を開催したというわけだ。(案内パンッフレットより要約)。
会場には主にその全貌を沢山の写真とその解説、全台本、残された少ないビデオの部分を再編集したものの上映、衣装の展示、2作品の舞台をジオラマで再現したもの、などなどで充実していて、もう一度見たくなるような濃い内容である。
実は僕はその活躍の時期、東京にいたので存在は聞いていたのだが、実際にその舞台は一度も観たことはない。今回これを観て思ったのは、熱いなあという一言だ。羨ましいくらい熱いのだ。
60年代の唐十郎の『状況劇場』や、寺山修司の『天井桟敷』佐藤信たちの『黒テント』などを思い出させる、疾走感が溢れ出ている。そして内実のリアレティを遥かに超えて、その表現方法は実にロマンチックなのだ。
今これをやる人は居ないのだろうか? やっても引かれてしまうのだろうか? それだけの無償の情熱はなくなったのだろうか?
過日、当時、同じく札幌で別に活躍していた劇団『魴?舎』の関係者たちによる、『魴?舎』時代の作品群から部分を抜き出して再構成した舞台を上演したが、あれも熱かった……時代の息吹きみたいなエネルギーが横溢していた。
後日、今度は会場を替えて何本かの作品の全編の舞台記録映像を上映する予定であるという。大いに期待して待ちたいと思う。そのときはまた報告をしたい。



■宿題               08年5月10日

本誌18号の後記に、『マウス・トラップ』の疑問について「実際にオリジナルに当たってみれば解決する問題だ。宿題です」と書いた。
「大雪で電話も切られた山荘の密室から、その中に犯人がいると思われている5人の宿泊者と捜査官の目を掠めて、主人の若夫婦がお互いに秘密を保ちながらどうやってロンドンへ行ったのか?」 という疑問である。
やっと原作(=『ねずみとり』アガサ・クリスティ原作・鳴海四郎訳 早川文庫)を読むことができた。読んでみると、答えは実に簡単だ。
ヒントの第一。P14。(事件が起こる前)モリー(妻)が、一人密かに机の戸棚の中に小さな紙包みをしまう。続いて、P15。ジャイルズ(夫)が、誰も居ないときに物入れをあけて、手にしていた大きな紙袋をしまいこむ。
第二。P99。ジャイルズがモリーの手袋を見つけ、中からロンドン行きのバスの切符を見つけ、深い疑問を持つ。
第三.P130。トロッター(偽刑事)がジャイルズのオーバーのポケットから昨日ロンドン発行の夕刊新聞を取り出しモリーに見せる。
第四.P137。モリーはジャイルズが昨日の午後、ロンドンへ行ったらしいことを疑う。
第五。P143。夫婦のお互いが、昨日の午後、ロンドンへ行ったことを認める。
第六。P198。モリーは「だってあなた昨日ロンドンへは何しに行ったの?」と言っている。
以上を注意深く読むと、二人とも昨日の午後、ロンドンへ行って何かを隠していた事になる。
だが残念ながら、実際の舞台ではどうも捜査の始まったその日に二人がロンドンへ行ったようにしか見えなかったのは僕の注意力が鈍かったのだろうか?



■写真の掲載            08年7月10日

この冊子の本文の空白に、その舞台の写真を掲載したくて、実験をしてみたのだが、中々巧くいかない。簡単に考えていたのだが、実際にやってみると素人では手に負えない。
レイアウトや著作権のクリアも大変だが、紙質の問題や色彩・解像度などプリンターの性能など物理的な難題が山積であり、ほとんどお手上げの状況だ。
しばらくやってみたけど、今回は断念せざるを得なかった。しかしまったく諦めた訳ではない。捲土重来を期す。



■アーカイブス           08年7月25日

『笑息筋』241号の「編集メモ」に「『笑息筋』アーカイブス……ってか?」というコラムが書かれていた。
それは95年の95号、そして98年の121号の二つの「編集メモ」の一部を引用して、当時の辛口批評を再現している。
僕も違った意味だが同じような体験をした。最近、同じ戯曲の違った舞台を観る機会が何度かあった。だから当然、忘れていた以前に観た舞台の自分の批評を再読することになる。またモチーフが同じだったり似ていると思える場合も参考に読んで見たいと思うことが何度かあった。
それらを読むと、我ながらいずれも現在よりも遥かに先鋭的で、良く調べているようなのだ。今が鈍くなっているのに愕然とする。



■『笑息筋』休刊            08年8月8日

長い間、私の大先達として大きな影響力を戴き、06年07年08年と三年間に亙って雑誌『悲劇喜劇』に『続・観劇片々』を紹介してくださった『笑息筋』編集発行人の原さんから、長文の『笑息筋』休刊のお知らせを戴いた。
しばらく呆然として何も考えられなかった。何かお返事をしようとするのだが言葉にならない。
休刊の理由は幾つか述べられているが、主に、『笑息筋』発行のために劇場へ足を運ぶ回数を減らさなければならなかったり、聞き書きの時間がとりにくくなったりするのは本末転倒であり、体力も自信を失ったという、ほとんど物理的な要因のようです。わが身を顧みざるを得ません。
「喜劇」については、原さんの広義の解釈に対して私は狭義に考えているので多少意識の違うところもありますが、演劇に対する方向性と姿勢にはいつも見習わなければと思ってきました。
最後には、これからも勉強を続けて、何時の日か、また突然に『笑息筋』のようなものを復活しようと思うことがあるかもしれませんと書かれています。私よりも大分若いはずです。お元気で復活をお待ちしています。