演 目
映 画/愛の予感
鑑賞日/08.1.30.
製作・配給/モンキータウンプロダクション
監督・脚本/小林政広 助監督/川瀬準也
製作/小林直子 撮影監督/西久保弘一 照明/南園智男
録音/秋元大輔・横山達夫 編集/金子尚樹 
劇場/シアター・キノ

1時間40分の黙劇

 同級生の女子中学生を刺殺した母子家庭の一人娘の母親・典子(=渡辺真起子)へのインタビューが彼女のアップだけで延々と写し出される。濃いサングラスを着用し前髪が顔の半分を覆い、表情はもちろん容貌もはっきりとは分らない。突然の娘の凶行に、取り乱した様子も見せず、ひたすら「分らない、被害者の親に謝りたい」と釈明を繰り返す。
代わって被害者の父親・順一(=小林政広)のインタビユー。「許せない。会いたくもない」と、まっすぐ前を見詰めて手短なコメント。彼も連れ合いを亡くした一人娘の父子家庭である。
「一年後」のテロップの後、画面は無国籍風の田舎町である苫小牧勇払が映し出される。おそらく初冬であろうか? 画面はカラーでありながらモノクロの印象だ。新聞記者だった順一の絶望した顔が、この地の鉄鋼工場の作業場にあった。
彼は黙々とこの炎熱工場で働き、車を運転し殺風景で何もない工員寮の一室へ帰り、共同の大浴場に入り、食堂で夕食を摂りという繰り返しである。
一方、偶然この寮で賄婦をしているのが、この地の出身であった典子であった。以前一度PTAで会ったことがある順一は、彼女であることを知ったが無関心である。
彼女も黙々と単調な作業をこなし、一人寂しく別の寮へと帰って行く。
この二つの情景がカットバック式に交互に延々と映し出される。本人はもちろん周りの人たちも不自然なくらい全く言葉を持たない。会話のそぶりも見せない。だがそれは微妙にリアリティがある。よく考えると不自然なのだが、絵として成り立っているという感じだ。
漫然と見ていると、ほとんど一つの描写の使い回しのように見える。だが注意して良くみると、微妙に違っている。
たとえば順一は、晩飯の二菜一汁には一切手をつけず、生卵のぶっ掛け飯しか食べないのだが、その菜がその都度違っていたり、風呂場での寛ぎ方が違っていたり、典子が皮を剥くジャガイモの形が違っていたりする。
延々と続く日常の中で軽い変化が現れる。順一はコンビニで買った多分スナック菓子を典子の作業台の上に載せる。典子はそれを順一の部屋のドアの前に置いておく。
翌日、廊下ですれ違った順一は典子を外に連れ出す。顔を合わせた典子は順一の頬を強く叩く。それから順一は意識的に典子を無視する。
しかしその後、生卵しか食べない順一のために典子は目玉焼きを作る。順一はこれまで残していたお菜を少しだけ食べるようになった。
順一の「あなたなしでは生きられない。でもあなたと一緒では生きていく資格がない」というナレーションで突然映画は終わる。それは予感であった。新しい生の生れる予感であったのだ。
普通なら溶暗・溶明するシーンの切り替えはカットアウト・カットインで、つなぎはいわゆる砂嵐であり、二人の荒涼とした心象風景を象徴する。
非常に低予算で、こんな印象的な画面と二人の心象を印象的に描き出したことに感銘したのであった。