編  集  後  記


 朝日新聞3月20日と27日の二回に亙って鈴木喜三夫さんによる『北海道演劇の現状と課題』と題された寄稿文の中に市民参加劇の現状について述べられている。
僕も地元のいわゆる市民劇団のお手伝いをしているから、分るのだけど、鈴木さんの課題に加えて二つの課題を付け加えたいと思う。
その第一は、参加者の激減である。大人は仕事と家事が優先して演劇に参加する優先順位が低い。中・高校生は塾と部活でこれも参加者が減っている。これらの現象は昔からある傾向ではあるが、最近2・3年で特に目立つ。
二つ目は、行政の金銭的助成が大幅に減額された上、稽古場や上演ホールの使用料が今まで無料だったのが半額負担になったこと。僕たちが昔やっていたころから思うと贅沢言うんじゃないよ、と言いたいが、そういう制度に馴れた人たちからみると大きな痛手である。いまさら折角の制度をどうするんだよと言わざるを得ない。
福祉(医療を含む)・教育・文化には金を惜しむな、と声を大にして言いたいところなのだが……
さらに当地だけの事情として、この人口約2万5千人の街に四つの劇団があり、さらに市内にある北海道拓殖短期大学が年に一度、今年で24回目、全学を挙げて「ミュージカル」を上演している。
四つの劇団の中には、年に2公演を打つ劇団もあるから、単純に計算しても隔月に一回どこかの劇団が演劇を上演しているわけで、その他、さまざまな団体、例えば「舞台芸術交流協会」とか「音楽鑑賞協会」あるいは市独自に、そのほかの一時的な団体の主催などで、東京や札幌などの演劇をプロデユースしている。
その結果どういうことが起こるかというと、少ないスタッフ・キャスト、そして少ない観客の奪い合いになってしまうということだ。新しい参加者と新しい観客の掘り起こしをすると言えば正論だが、事実はそれほど安易なものではない。
もちろん、この現象が当地の演劇水準の底上げになっていることは疑いないのだが……
さまざまな障碍があるからと言って、止めるわけにはいかない。試行錯誤をしながら継続と向上の道を探しているという状況である。
もちろん前進的な傾向も生れている。例えば4劇団が提携して新しい演劇を創ろうとする動きだとか、唯一使用料が掛からない中央公民館を何とか工夫して劇場として使おうという劇団(ミュージカル工夢店)だとか、そういうエネルギーに大いに期待したいと思うのです。

以前この欄で紹介した、誠実な僕の愛読者であり旧い友人である千葉県在住のOさんから長い手紙が来ました。僕より大分若いけど、この人こそ本当のインテリだといつも思っている人であります。
手紙は、最近亡くなったご両親への厚い想いを綴ったあと、放浪の旅に思いを致し、全てを処分してどこか知らない街へ行くというのです。
ずいぶん思い切った決断です。僕は粛然としました。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行法師、「旅に病み夢は枯野を駆け巡る」の芭蕉、そして、山頭火・放哉と繋がる純化された精神の具体的存在として、自分には絶対真似の出来ないその思いに撃たれました。
羨ましいというか、清々しいというか、その潔癖な精神はただものではないと思います。
ただ、新しい棲家が決まったら連絡をくれますという最後の一言に、凡人の僕は救われた思いのしたことも事実でした……

最後に一つ報告です。
北翔大学・短期大学部・人間総合学科・舞台芸術系編集、北翔大学・北方圏学術情報センター・舞台芸術研究プロジェクト発行の『PROBE』という年刊演劇研究雑誌・第2号(08年2月20日発行)に、私の06年10月〜07年9月の一年間の観劇報告が、『観劇片々』というタイトルで14ページに亙って掲載されました。
『シアター・ラグ・203 』の主宰者、村松幹男氏のご紹介です。内容は『続・観劇片々』15・16・17・18号からのデータを使って再構成したものですが、どの演目を選ぶかに苦心をしました。自分では中々選べないものです。
この雑誌は非売品ですが、全道の公立図書館と大学の図書館に納本されています。

08年5月1日