演 目
棲 家
観劇日時/07.10.7 13時
劇団名/劇団 北芸(釧路) 
作/太田省吾 演出/加藤直樹 音響・照明/佐藤徳子
衣装/森田啓子 美術/加藤直樹 制作/小高律夫

わが道を行く潔さ

 故・太田省吾が、亡くなった中村伸郎にあて書きした戯曲である。
老人(=加藤直樹)がある夜の闇の中、新築中の自宅の現場に彷徨い出て、来し方を哀切込めて振り返る長い独白……老人は新築中だといっているが、どうも実は、彼が生きて過ごしてきた自宅の廃墟なのが正解らしい。
そこへ死んだはずの妻(=森田啓子)が現れる。ほとんど「さりともと思うこころにはかられて世にもけふまでいける命か」と詠まれた、上田秋成『浅茅が宿』の世界だ。老人はすでに現実と幻影の世界が識別できないらしい。
二人の過去を振り返る会話は、ほとんど漫才かコントのように噛み合わない。それはまるで別役実の芝居を観ているような感じだ。そういえば「劇団北芸」は別役が専門だ。
この二人の交流は命に対する執着であり、それは微かな性への拘りにも現れ、子供の存在にも思いは行く。
やがて妻はトイレに行くと言って去ると、入れ替わりに心配した娘(=山谷真悠)が現れて現実に戻る。
枯れた生命のわずかな残り香の哀切……加藤直樹の実在そのものである淡白な存在に対して、森田啓子の妻は生々しいが、それはおそらく老人の幻影だからだろうか?
30年近くも加藤さんと森田さんがやっていると、年齢も上がってくるし役柄も限定されるはずだが、彼らは、若い人を育てるとか新しいものをやるとか、そういうことを一切考えずに、ひたすら今、自分たちがやりたいことだけをやっている。そういう潔癖さがこの集団の持ち味であり、その潔さが魅力でもあるわけだ。