演 目
酔っ払いと椅子と宇宙人と
観劇日時/07.9.26
劇団名/Theater・ラグ・203
公演回数/29
作・演出/村松幹男 音楽/今井大蛇丸 音響OP/吉田志帆
照明OP/柳川友希 宣伝美術/久保田さゆり
劇場/ラグリグラ劇場

二つの発見

 この芝居もずいぶん何回も観た。内容については何度も書いているので今回は書かないが、一言でいえば、しがない安サラリーマン(=平井伸之)の哀歓と、女=宇宙人(=田中玲枝)に微かな夢を託しかけ、妻(=久保田さゆり)に静かな喜びを感じる一夜とでも言おうか。
しかし、いつも言うことだが、この芝居も何回観ても面白い。話はもちろん、台詞も覚えてしまうほど分かっている。ここで次にこう言うから可笑しいぞ、と思っていてもやっぱり笑ってしまう。
この感覚、何かに似ているなと思ってふと思い当った。それは落語なのだ。落語の面白さというのは、何回聞いても可笑しいところは可笑しい。だけどもやっぱり笑ってしまう。
 おそらくそれは芸の力だと思われる。練り込んだ表現の深さと強さが、何度同じものを聞いても面白いのだ。この芝居にはその落語と同じく、観客の期待に応える力と魅力を持っていると思えるのだ。この芝居の魅力は落語の面白さと同質のものを持っていると信じられるのだ。
もちろん落語には長年に亘って育てられてきた、人間観察による人間存在の真実が基本にあるから観客を納得させる。ナンセンスといわれる演目にもそれは厳としてある。その基本がなければ面白さ可笑しさが表面的にしかならない。人間観察による、人間とその人間の作る社会の本質と歪みとを客観視して表現するという喜劇の王道をいく落語と、村松喜劇の共通性が感じられるのだった。
次の発見は、これまで一人芝居の分類を何度も試みながらつい気がつかなかったのだが、架空の相手役、この場合は石の台とか椅子とか無生物を擬人化した物体だが、それらの相手役に話しかけたとき、相手のレスポンスを聞く「間」がある。その時に観客はその相手役の返事を想像する楽しさがあるということだ。
それが当たるときもあれば微妙に外れるときもある。それがこの劇に観客が参加する大きな楽しみにもなっているということの発見であった。
じつは以前、一度実際に相手役のセリフを書いてみたことがあった。しかしそれは楽しみというよりは作者の思いの確認作業のようなものであり、必ずしも楽しいとはいえなかった。しかし今日は無責任にその想像の楽しさを味わった。もしかすると、これは作者が仕組んだ仕掛けなのかもしれないのかなとさえ思ったのであった。そして充分に楽しんだ。