演 目
石のうら
観劇日時/07.9.23
劇団名/FICTION
公演回数/29
07年9月24日/旭川 シアターコア
07年9月27日/シアターZOO
作・演出/山下澄人 照明・音響/ふらの演劇工房 舞台監督/FICTION 宣伝美術/西山昭彦 
その他全部/FICTION 企画・制作/OFFICE FICTION プロデューサー/白迫久美子 
旭川主催/FICTION旭川公演実行委員会 制作協力/川谷孝司
札幌主催/北海道演劇財団・NPO法人TPSクラブ 制作協力/富良野塾クラブ

最下層に蠢く人たちへの眼差し

 「石のうら」って何だろう? 石というものは大体、地面にあるからひっくり返してその裏側を見ると、多分名前も知らないようなあんまり気持ちの良くない蟲たちがウジャウジャと蠢いている様子が連想される。
でも考えてみれば、人間から見てその薄気味の悪い蟲たちも結局は生きているわけだ。
破れた焼けトタン板で出来た掘っ立て小屋のようなゴチャゴチャしたバラックの工場。外の騒音で聞き取れないような事務所で社長(=山田和雄)がなぜか関西弁で、よく聞こえない大声の電話をかけている。
小児麻痺の後遺症で身体のゆがんだマツサン(=井上唯我)の情報で、工員のタケシバ(=大西康雄)がロリコン変態で会社を首になる。
まるで暴力団のような二人の同僚(=荻田忠利・竹内裕介)に苛め抜かれたタケシバは、返事ができずに嘔吐する。
近くのボロ長屋では、もう身体が不自由になったが口だけは達者な老人(=山下澄人)が、転がり込んで居付いたシゲコ(=山田一雄)と喧嘩が絶えないが、何となく腐れ縁を続けている。
シゲコにはミルトン(=竹内裕介)という年中パンツ一丁という唖の若い男の息子がいて母にベッタリ、老人にも懐こうとするが老人は邪険にする。
工場を追い出されたタケシバは、長屋に住み着いて痩せてガリガリの野良猫(=荻田忠利の黒子遣い)に餌付けをして老人に追い掛け回される。
そんなある夜、地震が起きてこのスラムも壊滅する。そのとき倒壊した小屋の下敷きになったシゲコに、あれほど喧嘩をしていたのに末期の水を飲ませようとした老人は、不注意で頭を蹴飛ばし死なせて、自責の念に陥る。
避難所の生活も、母が死んでからも纏わりつくミルトンにも老人には癪の種だ。
やがて復興の時期が来て、社長は自分の社の再建には特別な技術をもったタケシバが必要だった。だがタケシバは差別された思いがあって断固断る。そのとき老人は差別にひるまず開き直れと励ます。
ついでにミルトンも引き取れと都合のいい案を出す。だがそれは自分も歳をとるし障害者のミルトンがいると共倒れになるという不安があったのだが、不器用な老人はそうは言い出せなかったのだ。
ミルトンには、やれと言われれば止めろというまで忠実に命令を守るという特技があったのだ。
やがて工場は再建し、タケシバは見違えるように社長の片腕となって猛烈に働き出し、マツサンも何事もなかったようにしかしちゃっかりと同僚相手の闇金融を再開し、ミルトンは言葉の訓練を始め、老人も掃除夫として働き出す。
彼らが住んでいた辺りには高層マンションが立ち並び、それを眺めた老人は、「金を貯めてあそこの部屋に住み、そこで今までのように、ガラクタに囲まれた昔の生活に落ち着くんだ」と叫び、シゲコに教えられた賛美歌を歌う。そうなのだ、シゲコはクリスチャンだったのだ。
彼方に唱和するシゲコの幻影が浮かび上がって……
これらの雑多なエピソードが、猥雑にバイタリティ溢れて描き出される。特に身体不自由者・聾唖者・変態者・体の不自由な老人などなどをきわめてリアルに描写し、そしてそれらの言動を笑い飛ばし、しかしその底にそれらの人々のあり方に対して肯定し見つめる暖かい眼差しが強く感じられるのであった。
身勝手な生き方が摩擦を起こし、弱い者を徹底的に差別しながら傷付け合い、それでも最低のところで深く結ばれていく人々の物語……笑い転げた2時間であった。