演 目
FAKE
観劇日時/07.9.21
劇団名/HAM―PROJECT & SKグループ
作・演出/すがの公 照明/ほりぞんとあーと 音響/井嶋麻紀子・山本友佳 音響協力/糸川亜貴
劇場/シアターZOO

取り留めのない長丁場

 初演を観た時には、それなりの感慨があった。だからこの再演にはいささか期待するところがあったのだ。だが開幕冒頭から違和感があった。何だか違う芝居を観ているような気がする。初演の感想を引用してみよう。
「自殺志願の若い女が、ホームレスたちの一見突っ放したような優しさに癒されていく。そして再生へと向かう。甘いといえば甘い。(9号・5年6月)」
わりと単純に観ている。その印象が残っていたから、今度の舞台の冒頭に違和感が強かったのだろうか? 全然違う芝居を観ているような気がする。だが、当日パンフによると戯曲自体は初演のまま一切変更はないという。
都会の公園に住むリーさん(=高橋逸人)はサラリーマンを自称している。よれよれだが一応スーツを着て毎朝出かける。チョーさん(=高橋隆太)はカメラマンを自称して、いつも何かを写している。ジャニス(=古崎瑛美)は子供がいるという。キャンピングカーで育てているという。
しかし最後に分かるがこれは全部嘘である、というか願望であろうか? リーさんは若い頃酔ったはずみの喧嘩で殺人を犯してホームレスとなり、何かを写していたはずのチョーさんのカメラの中にフイルムは入っていなかった。ドラッグに溺れているジャニスには子供なんていなかった。
生きることの意味を失った若い女・マコト(=天野さおり)は、彼らのそんな内情も知らずに、一見突き離したような優しさに包まれて再生していく。こう見てくるとやっぱり初演と変わりはない。
では何故、違って見えたのだろうか? 話が回りくどく何を言おうとしているのか分かり難いのだ。何か特別な含意をもっているのではないのか? などと考え込んでしまう。初演の時には僕ももっと素直に観ていたんだろうか? だがやっぱり分らない。
特に劇中劇として演じられる三つの夢、マコトの夢は高校生と女の先生との武力闘争、ジャニスの夢は新撰組と竜馬との闘い、チョーさんの夢は歌えなくなった歌手と元彼女との話。これらの話は分かり難い。ギャグとしては面白いのだが最後にきて、fakeに繋がると了解されるが、リアルタイムでは理解不可能だった。
「お芝居をあまり難しく考えないようにしている」という作者の自弁には賛成するし、結局この芝居が難しい芝居でないならば、もっと平明な表現をするほうが良いのではないであろうか? それともこの作者のコメントは観客をfakeしているのであろうか? そして僕はやっぱりこの芝居の本質を見破っていないのだろうか?