演 目
円生と志ん生
観劇日時/07.8.27
劇団名/こまつ座
公演回数/第83回
こまつ座滝川公演実行委員会
作・井上ひさし 演出/鵜山仁 音楽/宇野誠一郎 美術/石井強司 照明/服部基 音響/秦大介
衣装/黒須はな子 ヘアメイク/西川直子 振付/西祐子 歌唱指導/満田恵子 演出助手/宮越洋子 
舞台監督/増田裕幸 宣伝美術/和田誠 制作/井上都・高林真一・瀬川芳一
劇場/滝川市文化センター

第二次世界大戦の罪悪に拘る井上ひさし

 敗戦の濃色な1954年5月、当時まだそれほど売れていなかった55歳の落語家・五代目古今亭志ん生(=角野卓造)は、東京では大好きな酒はもちろん食べ物も自由にならなかったときに、当時、日本の属国であった満州国への巡演という依頼があった。
酒が自由に飲めて佐官待遇の軍属という身分に喜んだ志ん生は、弟分の六代目三遊亭円生(=辻萬長)を誘って、家族を捨てるように避難を兼ねた欲望目的の旅に出た。
それから敗戦の混乱の中で苦労した挙句、翌々47年1月ほうほうの態でやっと帰国したという史実を元に、この間の二人の足跡を克明にたどるという芝居である。
ちなみにこの二人の落語家は後年、桂文楽を加えて「昭和の三名人」となっていく……
二人の行程に現れる4人の女性を説明した方が、具体的に分り易いと思うので、順番に紹介しよう。
まず最初は、高級旅館である。女将と女中にかしずかれ贅沢三昧の二人の部屋に、避難途中の高級軍人の2号さん二人が相部屋になる。
美女と同宿で喜んだものの、卑猥で下劣な小話に辟易した大金持ちの2号さんたちに拒否されこの高級旅館を追い出される。もう貧乏な落語家をちやほやするほど世の中は平穏ではなくなっていたのだ。
生活破綻者の志ん生に対してしっかり者の円生は、志ん生に内緒でいざというときのために小金を貯めていた。
さて二人が逃げ延びたのは娼家であった。当時合法的であった売春婦を斡旋しその女性たちの宿舎でもあった家だ。
そこの女将と3人の娼婦たちは、気が良く志ん生・円生の二人に親切で稼ぎも良く、二人も紐のような生活を送る。おそらく逼迫した状況とささくれた人心の中にあって、現実離なれのしている二人は、4人の女性たちにとって休まる存在だったのではないのだろうか。落語とはそういう存在だったのだろう。
世渡りの巧い堅実な円生は、上層部に取り入ってそれなりの生活に入っている。生活力のない志ん生はホームレスのような生活をやむなくしている。さすがの円生も二人分の面倒は見られないが、何かと兄貴分の志ん生の面倒をみている。志ん生は当然のように受け入れ悪びれない。そこが志ん生の魅力でもあるのだ。
ある喫茶店が、当時はやった物々交換のスポットになっている。店番の女学生が夏目漱石を読んでいて、現れた志ん生と円生が落語家だと分ると、漱石の「小さんという大芸術家と同時代を生きることの幸福」という記述を紹介する。
志ん生は三代目柳家小さんの速記録を聖典として肌身離さず持っていた。しかしもうすべてが志ん生の頭の中に入っている。志ん生はそれを円生に譲る。
そのとき志ん生は「リズムとテンポでトントンと追い込み最後にストンと落とす。短編小説としての滑稽話こそ落語の真髄だ。自分はそれを目指す。それに対して、間を充分に取って叙情を効かせ聞く人の心に染み入る長編小説としての人情噺が得意なのが円生だ」と言って、お互いがお互いに師匠として認め合うシーンが、その後の二人が互いに三名人として名を成すきっかけとして表現される。
そこへ現れた女学校の3人の教師たちは、苦しみの中で変節していく人間の性を象徴的に表現する。
さらにひどく落ちぶれて小屋住まいの志ん生の様子を見にきた円生のところへ現れた4人の女性たちは、北の街から命からがら逃げ延びて来る途中で命を落とした亡霊たちであった。彼女たちから形見の人形などを受け取る二人……
そして最後は撤退し切れなかった修道院の心優しい二人の新米修道尼たちが、志ん生・円生が小話の練習している内容を、キリストの再来と勝手に解釈して慌てふためく。
彼女たちは難民救済のための炊き出しを止める踏ん切りがつかずに危険な経営を続けていて、志ん生もその難民の一人であったわけだ。
院長と副院長は懐疑的だが、堅物の4人も最後は落語の面白さをようやく理解する。かつてなかった4人の新しい世界はもうすでに戦後になっていた彼女たちに新しい未来の精神世界を暗示するようだ。
この地での偽りの生活を精算するために円生は残り、志ん生は一人、47年1月の引き揚げ船で帰国する。大混乱の中での帰国にはまだまださまざまな劇があるのだが、それはこの芝居の後日談だ。
井上ひさしは、戦争の悲劇を、喜劇として告発する作業を根気よく続ける。これもその一つだが、僕にはそういう困難な状況の中でも落語の芸一筋に没頭する志ん生の生き方に強い興味を持った。
様々な書物で、志ん生のそういう生き方は知っているつもりではあったが、角野卓造の志ん生を彷彿とさせる存在がリアリティをもって確信させてくれたのであった。
女性4人を演じるのは、塩田朋子・森奈みはる・池田有希子・ひらたよーこ、である。