演 目
舞え舞えかたつむり
観劇日時/07.8.23
劇団名/劇工舎ルート
公演回数/第13回公演
作/別役実 演出/宮崎義人 舞台美術/宮崎義人 照明/伊藤裕幸 照明操作/元井聡子 
音響効果/山田健之 音響操作/中谷ユイ 制作助手/高田光江・高田学
劇場/シアターコア

人工的な構築

 別役実の戯曲は、ごく普通の会話を交わしながら、少しずつ噛み合わないところから人間関係が変化していく、そして日常的な世界を描きながら実はとんでもない別の世界を象徴しているという描き方だ。
さてこの芝居、異常な死体が発見されて捜査の結果、被害者は行方不明の警官だったことが分る。調査の結果、被疑者は被害者の妻の元・小学校教員(=田村明美)だと判明する。
被害者の上司の捜査官(=伊藤裕幸)がその妻を訪れるところから芝居は始まる。捜査官の合理的な説明を無視し、犯人と思われる妻は異常な行動をとる。
この劇は犯人を追い詰めるサスペンス劇ではない。この犯人である妻の異常心理が主題なのだ。そういう意味では別役劇としてはちょっと風変わりであるのかもしれない。
おそらくその観点から演出されたのかどうか? 非常に人工的なつくりになっているようだ。戯曲を読めば、いつものなだらかな日常会話とも読める。それを意識的に様式化した演技になっていた。
それは生きている人間の生きた会話やモノローグではなく、ロボットが発する人工的な会話でありモノローグなのだ。そこにこの妻の異常心理を表現しようとしたのであろうが、それは余りにも作られ過ぎて生きた人間の心理とは感じられない。
冒頭、捜査官の長い状況説明があって、それがこの妻の心理に微妙に影響していくような構成になっているので、様式化したのかもしれないが、戯曲を読めばこの妻のモノローグはごく日常的な独白とも読め、その方が後に明らかになるこの人の異常心理が浮き立つのではないのかと思われる。
生きた人間の生きた会話の中から異常心理が炙り出されるほうがずっとリアリティがあると思われるのだが……
「舞え舞えかたつむり」というのは、『梁塵秘抄』という平安後期の歌謡集の中の一篇である。詳しくは知らないが印象で言うと、人生謳歌の楽天的な思想のように思える。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそゆるがるれ」という一編が余りにも単純に知られ過ぎているからであろう。
 だが、この一編は苦悩の歌とも言われる。苦悩の底からの呻きでもあろうか?
「舞え舞えかたつむり 舞わぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴ゑさせてん 踏み破らせてん 真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」というこの戯曲のタイトルの一編も、残酷な自虐の歌でもあるし、この犯人の妻はまさにこの自虐のかたつむりに自分を擬えて苦しんでいると解釈すると自ずとこの役のあり方は決定するのではないか?
どこか客観的ともみえる表現にいささか違和感を感じざるを得なかったのである。