演 目
砂漠の音階
観劇日時/07.810
劇団名/風琴工房
公演回数/code.25
作・演出・舞台美術・衣装・宣伝美術/詩森ろば 演出助手/木内美帆・津田湘子 照明/大橋榛名 
舞台監督/弘光哲也 大道具製作/福田舞台 制作/森岡鞠子 企画製作/ウィンディ・ハープ・オフィス 
劇場/コンカリーニョ

静かな演劇

 私の理解する「静かな演劇」とは、表面上は直接には何事もないように見えながら、人物たちの心の中に燃え上がるマグマが窺えるような演劇であり、その代表が平田オリザであると思っていた。
 この芝居も一見、何事も起きてはいないように見える。「雪の博士」といわれる中谷宇吉郎(=山内健司)が、北大の低温科学研究所に籠もって若い弟子(=浅倉洋介・北川義彦)たちを信じ、その協力によって、世界で初めて人工的に雪の結晶を作った一日のできごとが描かれる。
 中谷博士の山内健司が、とても腰の低い人物に造形されて身近に感じられるのが面白い。 
 この一日には葛藤らしい事は二つしか見られない。一つはかつて博士の級友であり卓越した理論物理学者である山崎誓作博士(=小高仁)が、挫折し白昼にもかかわらず酔って中谷を訪れるシーン。
 荒れる山崎を励まし再起を手助けしようとする中谷の友情、それを受け入れつつ静かに去る傷心の山崎という構図。
 今一つは、恵まれない家庭に暮らす若い女性秘書・津島和江(=笹野鈴々音)の失恋と新しい恋の予感……
 この二つの事件とも言えないようなできごとだけが劇的な部分でしかない。
 研究室に差し入れを届ける、献身的で控えめで愛情深い妻の静子(=松岡洋子)との穏やかな夫婦愛。
 東京から霜柱の研究のために、30時間をかけて遥々やってきた若々しい情熱家の理学生・河合久子(=宮嶋美子)たち、善意の人々……
 開幕早々に訪れる新米研究助手の学生・宮内喜夫(=山ノ井史)が、肩に力の入り過ぎたオーバーな演技で少々しらけながら観ていたが、新入りの緊張感の表現よりは現実味の薄い滑稽さだけが目立ってちょっと困った。
 『風琴工房』の芝居は4年ほど以前に『紅き深爪』という演目を観ている。これは同じ作者(=詩森ろば)とはとても思えないほどドラマチックを通り越してほとんどフアナチックな、今でも思い出すと鳥肌が立つような強烈な印象をもたらした忘れられない舞台であった。 
 この作者はタイトルが巧い。「紅」は女性の象徴であろうし「深爪」は強烈ではないがシンシンと痛そうだ。それが女達の深くて強い情念を象徴している。
 『砂漠の音階』というのも「砂漠」は深くみればたくさんの有機物を抱え込んではいるが、一見無機的な印象が強いことが科学を象徴していて、一方「音階」には人間的な美意識が感じられる。それが中谷博士の科学に対する思いを表しているようだ。科学に「美しさ」を感じたいという心だ。
 それは別にいうと自然界は一定の秩序を持って統制された世界であり、それを知ることが科学であるということでもあるのであろうか。
 だからこの舞台は「劇」というよりは、中谷博士の思想哲学の紹介とでもいうような感じであったが、そういう意味では意義のあった一夜ではあったのだが。
 ただ僕のそういう思いとは別に、劇の中で中谷博士は「雪は砂漠である」といい、秘書は「雪はバイオリンの音階である」という。この意味は何であろうか?
 蛇足ながら、先日観たマキノノゾミ・作の『フユヒコ』は『新劇場』の舞台成果は感心しなかったけれども、中谷博士が終生に亙って敬愛してやまぬ寺田寅彦博士の物語だったので、何だか今日はその後編を観ているような塩梅であったのが面白い。