演 目
アイ・ラブ・坊ちゃん
観劇日時/07.7.19
音楽座ミュージカル 北海道公演
脚本/横山由和・ワームホールプロジェクト 演出/ワームホールプロジェクト
エクゼクテイヴプロデューサー&クリエイテェヴデレィクター/相川レイ子
音楽/船山基紀 振付/畠山龍子 振付助手/畠山和真 日舞振付/花柳若由美 美術/高田一郎 
照明/塚本悟・佐藤弘樹 音楽監督/高田浩 歌唱指導/桑原英明
音響/実吉英一 衣装/八彩たまこ 舞台監督/高瀬洋  その他大勢
劇場/札幌市教育文化会館

漱石の心象風景としての『坊ちゃん』

 これは単なる小説『坊ちゃん』のミュージカル化ではない。一言で言うと、この小説の書かれた時の夏目漱石の心象を、そのまま『坊ちゃん』という小説に投影するという手法を使って、漱石の心象を推理したフイクションを交えて構成している。
舞台は漱石の自宅と、松山の中学校が交互にスライドして設置されて進むが、途中に海の中のボートとか街路など、膨大な舞台装置がスムーズに展開される。
だからメインストーリィは漱石の苦悩だ。その心象の中に『坊ちゃん』のストーリィが展開する。だから本当の主人公は夏目漱石という作家であり、物語は漱石の心のありようなのである。
『山嵐』は漱石の親友の正岡子規であり、坊ちゃんは漱石その人である。とつぜんドンキホーテとサンチョパンサがでてくるが、これはもう坊ちゃんと山嵐に象徴される漱石と子規とのシンボルだ。この二人は要所々々で大勢の街の人達がスローモーションで登場する中に紛れ込んでいるが、それはおそらく当時の民衆であろうか?
この群衆の中には、必ず白い柩を担いだ4人の正装の男たちが交じる。おそらくこの柩は、漱石が心と身体の病に悩む一つの心象でもあろうか? 
あるいは子規が日本における野球の元祖でもあることを利用して、坊ちゃんと漱石が新しい旅立ちをする場面でキャッチボールをするというシーン。
ただこういう風に、いろいろとシンボルが次々に出てくると、解説臭が嫌みに感じられる。
だが漱石の、「なぜ生きるのか?」から「どう生きるのか?」に考えを変えていくのに『坊ちゃん』の生き方を追求したという推理は面白いし、漱石の文学の解釈として、後の『則天去私』に至る原点として、巧いフイクションであろう。
ただ、この解釈をミユージカル仕立てにしたことは物足りなさも感じる。これには賛否両論があると思うが、ミュージカルとしては『坊ちゃん』そのもので演って欲しかった。その中から自ずと漱石の文学が浮き上がるべきだし、この脚本はむしろシリアスに演った方が深くなると思われる。
疑問を二つ。猫の存在。縫いぐるみの三毛猫が全編に亙って登場し、それはそれで可愛いのだが、『我輩は猫である』との関連がはっきりとしないし、おそらく客観性の象徴だと思われるが、台詞が全くないから意味が良く分からない。従って批評性が薄い。
いま一つは、妻・鏡子の存在だ。漱石の苛立ちを助長するような振る舞いと存在だ。史実を誇張・戯画化したものなのかもしれないし、漱石の妄想ともとれるが、観ている限りでは、この妻あってこの漱石かなという感じがする。終幕で漱石が譫言のように「ありがとう、鏡子」と呟くが、いきなり豹変したようで驚く。
実際に観ていたときはいろいろと不満があったが、いま思い出してみると、漱石と時代との関係も含めて考えさせる舞台ではあったと思われる。エンターテインメント性を無理にくっつけたような気がするが、やはり観客の動員を考えた結果であろう。
出演。夏目漱石/松橋登 妻・鏡子/秋本みな子 坊ちゃん/吉田朋弘 山嵐/安中淳也
清/大方斐紗子 校長/小林アトム 赤シャツ/新木啓介 野たいこ/佐藤伸行
その他大勢