演 目
フユヒコ
観劇日時/07.6.15
劇団名/劇団 新劇場
公演回数/第52回公演
作/マキノノゾミ
演出/多海本泰男 
演出助手/吉田輝志子
装置/福田恭一
照明/赤山悟
音響/西野輝明
衣装/蜂谷千枝
小道具/斎藤誠治
舞台監督/鶴丈治
舞台監督助手/古里みま
制作/劇団 新劇場
劇場/やまびこ座

夫婦と親子の家庭人情喜劇

 昭和の初めころ、寺田寅彦という科学者がいた。寺田はユニークな研究を続けると同時に、「天災は忘れたころにやってくる」という名言を残したことでも知られる随筆家でもあり、沢山のエッセイ作品を残している。
この戯曲はその寺田博士をフユヒコ(=斎藤誠治)とし、この命名も示唆的だが、博士の妻(=斉藤和子)・2人の子息(=赤尾光春・小川貴大)と2人の令嬢(=栗原聡美・武田有加)・博士の友人(=山根義昭)・令嬢の友人(=星野晃之)たちを描いていく。
暗転ごとに、寺田博士の文章の一部が陰ナレーションで読まれ、その文言の内容に導かれるように物語が展開する。
その文章はほとんどが、森羅万象に対する博士の心象風景だったり感想だったりするので、物語とは直接関係はない。だが、何箇所か家族に関する具体的な描写の文章もあったので、そこから考えると博士の心象や感想も微妙に家族との関係を象徴しているのかもしれない。
妻は自己中心の勝手気ままな悪妻として描かれている。子どもたちも馴染めない。博士がよくも離婚しないのが不思議なくらいだが、だんだん話が進むと、この妻は見えないところで夫にも子どもたちにも気を使い大事にしていることが分かってくる。
なぜ陰でやっていたのかは、彼女がそういう気質だったからとしか判らないが、次女についてはその不始末を自覚して反省させる意味もあったようだ。
だが残念ながら、妻のそういう気質や心遣いが終わり近くまでまったく分からない。後でわかってくるのだが、それまでに伏線がないので不自然に見えてしまう。
それが戯曲の書き込み不足なのか、演出の問題なのか、それとも役者の演技なのか? いずれにしても観ている僕はかなり焦慮感をもった。
最後は大団円になったと思った途端、原因不明の夫婦喧嘩でまたもや逆戻りしたような感じだが、家族全員が同じ思いをもって重要な小道具である「招き猫」を買ってくる辺りから、とつぜん画一化された演技になり、演出も喜劇仕様になって、ちょっと違和感を覚えた。