演 目
怪談『牡丹燈篭』
観劇日時/07.6.5
劇団名/松竹製作 深川公演
原作/三遊亭圓朝
脚本/大西信行
演出/戌井市郎
美術/織田音也・中嶋正留
照明/古川幸夫
効果/秦和夫・秦大介
立師/尾上菊十郎
邦楽/稀音家政吉次
所作指導/菊若亮太郎
演出補/黒木仁
舞台監督/古山昌克・中島幸則
制作協力/大迫辰己・佐野葎子・日高義則
制作/松本康男・村上具子・本田景久
劇場/深川市 文化交流施設「み・らい」

自滅する欲望と野望

 『地獄八景亡者戯』に続いて落語ネタであった。人情噺の中の怪談というジャンルに属し、人情噺は芝居になっているものが多い。
だが僕は落語では、人情噺よりは断然として滑稽噺といわれる、能天気で気軽でオバカさんで、それでいて正義感の強い庶民のバカ話のほうが圧倒的に好きである。
この『牡丹燈篭』は話が複雑で三つのストーリィが絡まっている。まず第一が、若い二人の荻原新三郎・お露(=井上恭太・石原舞子)の純愛にまつわる悲恋の死。二番目がおそらく主題で、この若い二人を犠牲にして金を取り成り上がる中年夫婦の伴造・お峯(=前田吟・水谷八重子)の強欲と裏切りと自滅。そしてこの若い恋人たちを利用して我欲を通そうとするが、やはり自滅する若い二人よりもやや年配の強欲だが弱気なカップルの宮野辺源次郎・お国(=川野太郎・坂口良子)。
こう観てくると、やはりこの芝居は欲望と野望と裏切りと自滅のペシミックな世界だ。人間の業の切なさを展開する、見ていて寂しくなるような世界だった。
日本の伝統芸能である歌舞伎や落語の中に、このテーマが根強く引き継がれているのがよくわかる。
元が落語であることと、話が複雑なのでプロローグは圓朝自身が出演して、お露と新三郎の馴れ初めを語る。これは判りやすくて巧い処理だ。ただし圓朝役の役者(=坂部文昭)がよっぽど落語家として噺が巧くないと白ける。
われわれは圓朝の本物を知らないわけだから、比較のしようがないが、今日の圓朝は端整な感じで、もっと余裕をもった老練なイメージとはちょっと違ったかなという印象だった。
2幕10場をどんどん装置を転換して、いかにも商業劇場らしい雰囲気を作っていたが、演技中に裏で転換のための雑音が激しく気になった。
ラストにもう一度、圓朝が登場し、フアンの紳士淑女から文明開化の世の中になっても、人間の中の暗い部分は変わらないのだから怪談を続けてと励まされる。これはちょっと蛇足であったようだ。
さすがに怪談の場面は判っていてもヒヤリとして、自分自身や自分にまつわる人々の弱さが痛感され、一人住まいの我が家に帰っても自分は悪いことはしていないという自信はあるのに、どこか自分の知らないところで何かをしているのではないかと思うと、暗い部屋が怖かったくらいだった。
帰宅後、六代目・三遊亭円生・口演の『牡丹燈篭』をもう一度聴いてみた。全編4時間もかかるし、これはライブじゃなく客のいないスタジオ録音なので面白さは半減する。
やはりライブでないと、落語の真の面白さは感じられないと思うのだ。円生は完全主義者だからこうなったんだろうが、研究者には良いかも知れないが、愛好者には味気ない。
その他の出演者。甲斐京子・岡本正巳・田口守・中村繭古・立松昭二・伊庭朋子・青木峻・吉澤舞夏・倉田恭子