演 目
地獄八景亡者の戯
観劇日時/07.6.3
真宗大谷派北海道教区 青壮年特伝
劇団名/劇の素 艶屋 
公演回数/第三回公演
作・演出/矢野ツカサ
劇場/旭川 勝龍寺 会館

お寺で地獄巡り

 今年の三月に初演されたこの芝居を、今度はお寺での上演だという。僕が最初にそれを聞いたときのイメージでは、畳敷きの本堂を会場に、屏風で上下(かみしも)の袖の出入り口と楽屋を兼ねたスペースを造り、素明かりかロウソクの照明で上演されるような気がして大いに気を引かされた。
 行ってみて驚いたのは、本堂ではなく和室の大広間にコンパネと黒幕と照明器具を大量に使って、150人収容の小劇場が出来ていたことだった。
 しかも客席はビールの空き箱を、これも大量に積み上げてコンパネを張り、仮設とは言え本格的な劇場で、たった一回の上演には全く勿体ないような贅沢な仕掛けだった。
観ていて思い出したのだが、劇中に登場するキャスター付の道具が墓石になったり椅子、テーブル、舟などに使うわけだから、やはり畳では無理だろう。
この芝居は、上方発の大ネタといわれる落語が原作である。死者が閻魔様の裁きを受けて極楽行きか地獄行きかを決められるまでのお気楽な道中記で、あの世の入り口も、煩悩と金の支配はこの世と大して変わらないというお噺だ。
 こういう特殊な形態の上演だから観客も演劇に見慣れない人たちが多いというか、僕らのような関係者以外はおそらくほとんどの人がこういう場面になじみが薄いのではないかと思われる。盛んに盛大な笑声が挙がり、その意味ではかなり成功したようだ。
だが前回にも書いたが、こういう舞台は、あくどいほどの毒気が魅力になる。前回より幾分改訂したような気はしたが、基本的に時事問題はもちろんその他に取り上げたさまざまなテーマにしろ、表面的な言葉の面白さにしか過ぎないのでインパクトが弱いのだ。
 一つ一つのエピソードの本質に深く切り込んだ視点から劇的表現をしないと、その場の思いつきをふっと微笑させて終わってしまうような感じでしかないのだ。
 せっかくの役者たちの好演や、本格的に造られた小劇場の設備や、洒落た道具たちの扱い方が勿体ないような気がしてならなかった。
 出演者は、佐藤鍵・大友理香子・小川恵理・松浦みゆき・石田千景。以上の5人が、沢山の役を交代で演じる。