演 目
『引越』―改訂版―
観劇日時/07.4.21.22
劇団名/Theater・ラグ・203
作・演出/村松幹男
舞台監督/たなかたまえ
照明/平井伸之
音響/田村一樹
音楽/今井大蛇丸
宣伝美術/久保田さゆり
制作/柳川友希・高橋久美子・Theater・ラグ・03
劇場/ラグリグラ劇場

不気味さの増殖

 最初に主人公(=伊東笑美子)の夫である男(=柳川友希)が「この話は生命の根源の話である」とか「生命と物質の存在そのものの話である」とか勿体振ったナレーションを語るので、村松戯曲にときどきある哲学的な話かと思ったが、芝居は一種の風俗劇のような描き方で人間の心の変化のありようを不気味に表現した。
 しがないサラリーマンの新婚夫婦が中古のマンションを買って引っ越して来る。夫の留守中まだ片付け最中の妻のところへ、近所に住む三人の専業主婦(=久保田さゆり・吉田志帆・高橋久美子)が訪ねて来る。彼女らはありがちでお節介な邪魔者だ。この辺は身につまされるリアリティがある。
 だが日中は勤務で家に居ない夫は、調子よく彼女らを歓迎して妻の顰蹙をかう。三人は幸せを齎す鉢植の木とか、健康を保つ亀とか、願いの叶う壷とかをプレゼントする。
 最初は戸惑った妻も、やがてそれらの虜になってゆく。夫と妻は多分それだけが原因ではないかもしれないが次第に意志が通じなくなっていく。いやたぶん、それだけが原因であろう。
 妻の行動は無意識にエスカレートする。自分のやっていることの意味が分からなくなってきたのだ。妻は三人組の四人目になっていく。そのことの自覚さえない。その恐ろしさ…不気味な増殖が世界を変えてゆく。
ラブラブの中年カップル(=村松幹男・田中玲枝)が幕間に頻繁に登場して、二人のアツアツ度を笑劇風に誇張して披露するが、去ろうとすると必ず行く手は行き止まりになっているのだ。真夏の陽光きらめく海浜でさえそのアツアツのラブタイムの後には行き止まりが待っている。
 そしてこの二人が中古マンション購入のために、このマンションの下見に訪れる。この二人は能天気ではあるけれども健康な常識の持ち主だ。この異常な4人組をみて購入を止める。当たり前だと思うのは観ている観客も同じだ。
しかしその観客が一転して当事者になった場合、はたして現在の観客としての立場や、この中年夫婦のように健康な判断ができるであろうか? イヤ瞬間的には出来たとしても、さまざまの付帯的な条件の中で巻き込まれていくことを、冷静に客観視することができるだろうか? と問われている。
翌日もう一度観た。単なる風俗劇を脱け出して、ほとんど世界のある一面を象徴した喜劇だった。喜劇は「世界を客観視したもの」悲劇は「歴史の宿命」という規定による、これは喜劇である。
幕間にやはり夫が頻繁に登場して心情を解説するが、ちょっと邪魔な感じがする。ドラマの中でそれを表現して欲しかった。説明を聞く芝居ってやはり違和感が大きいのだ。
だが、真っ暗な中で顔面にだけスポットライトをあてられて独白するのは、まるで生首が空中にポッカリと浮いて喋っているような不気味な雰囲気であり、この喜劇の被害者の怨念のような印象的なシーンではあった。