演 目
奴婢訓
観劇日時/07.4.7
劇団名/実験演劇集団 風蝕異人街
作/寺山修司
構成・演出・照明・装置/こしばきこう
舞台監督/石山貴章
音響オペレーター/瀬戸睦代
劇場/アトリエ阿呆船

摩訶不思議な作風

 『奴婢訓』の初演を観たのは78年1月、東京の晴海にある国際貿易センターのまるで体育館のような巨大で広い会場であった。劇団「天井桟敷」の公演で、そのときロビーで寺山修司を見かけた。小柄だが格好良い姿が印象的だった。
照明はなく大きな窓から入る外光のあふれる広い会場では、同時多発的に様々なエピソードが演じられ、観客はゾロゾロとその演技エリアを移動しながら見物した。そう、それはまさに見せ物という感じだった。
自己完結したような無意味な機械仕掛けを操る役者たち、そして当時大流行した暗黒舞踏風の演技者たち、人工的な仕掛けと人間の意識下を穿り出したような動きにあっけにとられたような不思議な印象が残っている。
その思いがあったので、それとはまるで正反対の「アトリエ阿呆船」の極端に狭い空間で演じられる『奴婢訓』の舞台は想像がつかなかった。
この劇は「主人不在の物語『ゴドーを待ちながら』以来の主人探しという前衛劇永遠のテーマである」といわれている。「主人のいない家を持つことは不幸だ。しかし家が主人を必要とすることはもっと不幸だ」という、人間の自由の怖ろしさを感じた『プレイ・アンド・プレイヤー』の評が適切だ。(「寺山修司の戯曲5」思潮社刊)
スイフトの「奴婢訓」、ジャンジュネの「女中ごっこ」、そしてシンデレラ姫などを混ぜたモチーフを宮沢賢治の諸作品に当て嵌めたような、摩訶不思議な作風だが奇妙な魅力を持つ寺山修司の代表作であるとも思われる。
今回感じたのは、台本は大幅に再構成されているようだが、宮沢賢治の諸作品をモチーフに散りばめながら、実は一般的に思われている賢治のイメージをまったく逆転してピューリタリズムを挑発しているような気がした。
特に主人ごっこを繰り返すのは人間性を否定するようでいながら、それこそが人間の実在だとでも言っているかのような印象を受ける。
今度の舞台では特に若い男性舞踏手が成長し、爬虫類を連想させる、このぬったりとした感性の舞台を展開させていたようだった。
出演者は、
三木美智代・堀内まゆみ・舛田佳弘・宇野早織・香本佳彦・米田友祐・石山貴章・HIDEYO・VIVI・婀狐・
丸山悠