演 目
セロ弾きのゴーシュ
観劇日時/07.2.4
人形劇フェスティバル/07年冬の祭典
原作/宮澤賢治
脚色・人形美術/吉田清治
演出/高平和子
音楽/一ノ瀬季生
舞台美術/坪原功和
照明/鈴木静悟
音響効果/オフィスこたけ
舞台監督/井川亮
演出補/廣瀬智博・坪原功和 
チェロ演奏/土田英順
配役は、主な出演者のみ紹介する。
三本木秀子・廣瀬勇輝・毛利聡・柿本友花・寺西美樹・池田まき・楠瀬桃子・温泉美智子・中村奈保・石山曜子
松山徹・小山なお・温泉晴・坪原功和・山本幸治・小山いくみ・冨塚薫・木村和美・市川きくみ・佐藤美幸・こいけあい
山本恵子・吉住まりあ・うらしん裕美子・木村典子・松岡美子・宮本和志・桃野勁子・井上志津子・北村郷子
劇場/札幌教育文化会館

賢治作品の持っているもの

 11時開演に間に合わせるように電車に乗ったのだが、強風のために架電線が切れて1時間も遅れてしまった。
舞台はもう半分ほど進んでいたが、係りの人が気の毒がって「途中からでも良かったら入って観てください」と言ってくれた。物語は良く知っているから観せていただくことにした。
W・トリプルの出演者を全部書き出してみた。札幌の人形劇界の層の厚さを示すためだ。ここには書かなかったけれどもスタッフもこの倍以上もいるのだ。
さて賢治の作品の舞台化は随分と多いのだが、なかなかその核心を衝いた表現に出会うことは少ない。それは賢治作品の一筋縄ではいかない重層的な内容を、捉え切れないからであろうと思われる。
『風の又三郎』『どんぐりと山猫』など、そういう作品の表向きだけではない部分の魅力を充分に引き出していないものが多いように感じるのだ。
たとえば今日の舞台では、かっこうのドレミファに付き合っているうちに、かっこうの方がほんとうのドレミファにはまっているような気がしてくる、という場面がある。僕はちょうどその後から観たので、その部分がどういう表現になっていたのかは判らないから意見はいえないけど気になるところだ。
「インドの虎狩り」という曲が重要なポイントになっている。天沢退二郎は、『この曲こそ「理想の作品=まことのことば=ほんとうの仕事にいたるための賢者の石」であったように思われる』(宮澤賢治全集ちくま文庫7解説)と書いている。単にゴーシュの努力が認められたというだけでは物足りない気がする。