演 目
『腐食』 改訂版
観劇日時/07.1.31
劇団名/Theater・ラグ・203
公演回数/Wednwsday Theater vol.1
作・演出/村松幹男
音楽/今井大蛇丸
音響/伊東笑美子
照明/平井伸之
宣伝美術/久保田さゆり
劇場/ラグリグラ劇場

アンモラルと虚無の裏にあるもの

 03年7月に鈴木亮介が演じた、この『腐食』の上演から3年半も経っているが、どうもその時の印象と違っているような気がしたので聞いてみると、主に回想場面が本人の語りで表現している部分を、実際に動かすように直したということであった。なるほど……。その件については後述するとして……
これは一人芝居である。前回の鈴木亮介に代わって、今回は若い発展途上の田村一樹の出演である。
死刑囚の収監室に教誨師がやって来る。教誨師を相手に、彼は自分の過去を語る。それは一種の開き直りの弁でもある。
男は、預金目標の予約獲得に汲々としていた銀行員であって、それなりに人生を歩んでいたはずなのに、あるとき妻の不貞を知った。
彼は躊躇なく彼女を絞め殺す。心の腐食した人間の命を早めるのに何の咎があろうか? という心境だ。人間はいずれ肉体が徐々に腐食する。精神だって然りだ。
いずれ腐食して滅亡する人間の、それも存在価値のない人間の腐食に手を貸すのがなぜ悪い? というドストエフスキー『罪と罰』ラスコーリニコフの論理。
殺人の快感に酔った彼は、怠惰に生きるセレブな客やその妻、売春婦などを次々に殺害する。大金を奪った彼は、あるヤクザ組織に身を寄せて、ヒットマンとなりさらに金のために殺人を重ねる。そこでは銃を使っての殺しに新たな快感を覚える。
アンモラルを強調し正当化し、それが虚無に替わっていくころ、それを逆転して人間の尊厳にすり代えようとしていく。ラスト、刑場へ向かう彼の最後の言葉は「俺は許されるんだろうか?」であった。
さて、回想場面の扱い方。僕は一人芝居を余り面白いとは思わない。その理由は何度も書いているのでここでは言わないが、この方法は僕の定義で第2類に分類される。つまり架空の相手役と芝居をするわけだ。
この方法を使うと、時間・空間が一瞬にして移動できるという大きなメリットがあることが今日の舞台で判った。今までこの分類の一人芝居を何度も見たけれども、この特徴に気が付いたのは初めてであった。
田村一樹は、若さのエネルギーで誠実に精一杯やっていたのは好感が持てる。