演 目
父と暮らせば
観劇日時/07.1.20
劇団名/どもプロデュース公演
作/井上ひさし
演出/ども
照明/枇本享洋
音響/吉田千恵 
舞台監督/牧野丈太郎
制作/高橋ひろ子
地蔵製作/原田ミドー
饅頭製作/柏木恵子
デザイン/浅野由美子
手話通訳/菅原順子
劇場/シアターZOO

芝居の原点の再確認

 井上ひさしの名作戯曲だけれども、知る人ぞ知る物語りだから一応梗概を紹介しよう。
 広島の原爆で一人生き残った23歳・図書館勤務の娘・福吉美津江(=西村知津子)のところに、その時死んだたった一人の身内である父親・福吉竹造(=斉藤誠治)が、娘のことを心配して、事あるたびに幽霊となって出て来る。
 娘は、原爆の被害資料を研究している青年に好意を持たれて、結婚まで申し込まれる。だが娘は、多くの親友や有為の人たちが、前途空しく死んだのに自分だけが幸せになることは出来ないと頑なに内に籠もる。
 そういう人達の分まで幸せになって欲しいという父親とだんだんに互いの意識がずれていく。
 父親の最後のとき、その父親を助け出せない娘に、自分の分まで生きてくれと絶叫した父親の心境と、そのとき死んだ全ての人の願いは、娘が幸せに生き残ってこの実情を後世に伝えるべきだと説得する。
 この話はよく知られているし、各方面でたくさん上演されているから今更観たいとは思わなかった。だがしばらく重厚な芝居を観ていないなと思って観ることにした。
 すっかり分かっているはずの話なのに、この娘の切実な純情と可憐な心情と状況の悲惨さに、不覚にも涙がとまらなかったのだ。
おそらく芝居とは、話が判っているだけでは存在価値がない。その場にいる役者が演じる登場人物の心の在り様に感情移入して感銘するのだ。こんな判りきったことを今更再確認できたことが、いわば今日の収穫だったのだろうか?
 多分、この戯曲の一方の芯である娘の有り様が素直に観客の心を打ったのであろう。
それに対して、父親のわざとらしい大仰な演技はいさか白ける。もっと素直に自然に存在してほしい。
 それに台詞をトチるのが、いつもながらとても気になる。今日も少なくとも3箇所はつかえたり噛んだりしていた。この人は、この二つが最大の欠点であり、今回も前半は何とか良かったのだが、後半にきてその悪癖が出たのは残念。