演 目
妖怪たちがやってくる
観劇日時/07.1.8
劇団名/砂川市文化交流ホール「ゆう」開館記念 
第1回砂川市民劇場公演
劇場/砂川市文化交流ホール「ゆう」

お祭りの道具として使われた演劇……

 深川市の隣町・滝川市と地続きのそのまた隣の砂川市に、新しく文化交流施設が出来た。いまどきこんな立派なホールを作って大丈夫なのか? という懸念はさておき、文化行政に力を入れる姿勢は見習うべき良政だ。
 あとはどれだけこの施設を有効に運用させていくかが問われるだろう。開館記念として、砂川市民から募集した幼児から高齢者までの市民たちによって、第一回砂川市民劇場公演が上演されたのを観に行った。
 さて、話は、良いところに着眼した。
古い市民会館には市民の文化を陰で守る妖怪たちが居て、その棟梁はアイヌのエカシ(長老)だ。新しいホールが出来ることになって、人々の関心は古い市民会館から新しいホールへと一斉に移ってしまった。
エカシは今後の市民の文化を守るために、妖怪の一部をここに残して主力を新しいホールへ移そうとする。しかし妖怪たちの一部は、古いものを大事にしない人たちを心良く思わず、新しいホールへ行くことに反対する。
葛藤のすえ、最後は全員了解して新しいホールを陰ながら見守ると同時に、砂川の文化を育てた古い市民会館の跡地を静かに見守っていくことにする。
だが出来上がった舞台は惨憺たるものだった。コンセプトがおそらく、市民たちが集まってお祭り騒ぎをやることで、その道具に演劇らしきものを使ったということであろう。それに異議を唱える立場にはない。現に集まった500人の市民たちは結構喜んでいたのだから……
しかし演劇というものが、こんなものだという意識が、演じる方も観る方にも植え込まれたとしたら悲劇だ。
やる方には変な慢心が起きるだろうし、観るほうには、そんなものだろうという先入観から、次の別の演劇を観るチャンスを逃がす意識を残す原因になるかもしれない。
もっと演劇の基本からキチンと抑えて、演じる方には演じることの面白さと同時に厳しさをも自覚して欲しいし、観る方にはTVでは味わえないライブの面白さ、演劇の魅力を、TV以上の訴求力とレアリテイを感じさせるような演出・演技で見せて欲しかったのである。
ここもやはり子ども達を含めて多くの人たちが、型に嵌った機械的な演技をやっている。子どもはもっと自然体の伸び伸びとした演技をするはずであり、大人たちの解放された演技も観たかった。余談だが、後日我々の集団の上演を観に来られた砂川の指導者が感嘆した。交流が生まれると良いのだが……