演 目
うるち88
観劇日時/06.11.5
アートプロデュース体験講座
脚本/菊地清大・寿福愛佳・高橋俊樹
演出/菊地清
舞台美術監督/藤村健一 
舞台美術/吉田圭二郎・高田優活・原聡・胡麻崎奨・酒井美保子・高林沙弥香
音楽/大須賀ひでき・中村悠貴・宮田哲自・タイガー・ザ・グレイト・川本友紀・山村亜由子
衣装/新田佳代
ピアノ/豊瀬雅美 
演技指導/前田順二
振付/藤井綾子
音響・照明/サウンド企画
制作/大坂ルツ美・岡田飛鳥・遠藤早姫・宮田亜矢子・千葉妙香・寿福愛佳
劇場/み・らい(深川市文化交流施設大ホール・旧市民会館)

事実とデフォルメ

 明治初年の北海道深川市の近郊。当時、道庁は外国人技師の勧告により、気候・土壌の適さない北海道での稲作が禁止されていた。もっぱら麦と芋が耕作されていたのは史実らしい。
ところが米作地帯から移入した屯田兵たちは、何とか稲を作りたかった。中村久作(=宮田哲自)という若者が妹・ちづ(=中村真由香)の協力で、ひそかに試作をしていた。
取締りの中隊長・小村栄吉(=梅沢明史)、白いご飯を食べたかったのにとうとう食べられずに死んだ幼い息子を不憫に思っている寺島重蔵(=佐藤自真)の一家(=新田佳代・佐藤允洋・山崎聖耀)が助力する。
さらに忍者の血筋をひくという反権力者・服部十兵衛一家(=菊地清大・寿福愛佳・野原綾香)の協力。
当地で再会した、久作の故郷でのかつての恋人・山田アヤ(=佐藤万里子)は、今は小麦で成功して久作に助力を求めて来る。
それらに謎の旅行者・実は道庁の米作推進派役人の五代公一郎(=大須賀ひでき)とその秘書・津田貞子(=加地麻美)、行商の女の子・ふみ(=篠原桃子)と、こま(=挽地美咲)。
さらに、寺島の長男・豊太郎の親への反抗と、その後の農業への目覚め、服部の娘・さちとの許されぬ恋など盛りだくさんのストーリィが巧く噛み合って、新しいものはないけれどもキャッチコピーの人情喜劇としては良く出来ていた。
演技的には相変わらずオーバーアクションが散見されるが、これはもはや確信犯的表現だと評価せざるを得ない。ほとんど好き嫌いの問題だ。ちなみに僕はあまり歓迎はしない。ギャグや喜劇的演技とは違う恣意的迎合的不純さを感じるからだが……
問題なのは衣装・小道具などの時代考証。これは最近の若い劇団員たちによる芝居によくあることだ。確信犯的にその場の視覚的な面白さと意識的なデフォルメのために正確な考証は無視しているのだから、それは許容範囲だと思っていた。
ところが僕の隣席の小父さんが、休憩時に僕にクレームをつけてきた。僕は意識的なデフォルメだと説明したが、その意図は判るが子どもたちに誤った知識を与えるのじゃないか? と危惧していた。
しかも稲作初期には水稲ではなかったはずで、それは歴史を誤解させるのではないのか? とも力説していた。しかし後に作者に聞いたところ、深川近郊の初期の稲作は、陸稲ではなく水稲であるということは、史実に残る歴史的事実であるとのことで、その資料に基づいてこの作品を書いたということであった。
この小父さんが誤解していたわけだが、この小父さんが水稲は歴史的曲解だといったとき、すぐに陸稲ですか? と同意した僕もいささか無責任であったと思う。
たまたま衣装考証のことから話が展開したので、同じように思ってしまったのだが、水稲か陸稲かという話と衣装考証は別の次元の問題かもしれない。
衣装の問題について言えば、歴史の真実と表現との違いは、やむを得ないのじゃないのか、と論争になったのであった。