演 目
近松で死ぬ気で遊ぶ『遊戯祭06』
観劇日時/06.11.1〜3
5作品・連続上演
劇場/琴似パトス・コンカリーニョ

巧くいった現代化
 1、『死にたいやつら』

脚本・演出/弦巻啓太 照明/相馬寛之
音響オペレーター/小林花枝絵 舞台監督/岩ヲ脩一

近松研究の大学教授(=温水元)の死後49日。身内の法要に突然、弁護士(=温水元・二役)が、故人が残した最愛の愛人に2億円の遺産を遺贈するという遺言書をもって現れる。
妻(=知北梨沙)の前で、妻の妹(=吉江和子)、近松研究の女子学生(=谷藤夏紀)、介護していたお手伝いさん(=石川藍)、同僚のアメリカ文学研究者(=梅津学)までホモを名乗って、2億円の争奪バトルが繰り広げられる。
現実的には、遺言の信憑性を疑問視しないのが不思議だが、それも欲に絡んで盲目になったという解釈ができないでもないが……
最後に、この一件は妻が弁護士と仕組んだ愛人候補たちの化けの皮剥がしと判るドンデン返しが面白い。雇われた弁護士が死んだ夫と二役をやるのと、それを仕組んだ妻の強かさが最後に分かって、あぁそうなんだと全てが了解される。
舞台装置の簡素で要を得た設えは面白かったが、演技の様式性を超えるインパクトが欲しかった。このままでは洒落た風俗劇としての印象しかないであろう。
近松の作品とそれぞれの立場をくっつける物語の構成と、ラストのドンデンの面白さを買う。
 その他に女子学生の婚約者で渡邉ヨシヒロが出演。



空に浮いた愛の実態
 2、『NAGAMACHI女ハラキリ』

脚本・演出/イトウワカナ
照明/相馬寛之 音響/橋本一生 舞台/上田知
舞台監督/丹治誉喬 衣装/中原奈緒美
刀製作/川崎舞 振付/平澤朋美 映像/三浦智也
制作/五十嵐宣勝 その他大勢

刀職人・般七(=佐藤健五)と遊女・飴子(=伊藤若菜)の恋。それに金の問題で切腹自殺した職人の叔母・米鶴(=田中佐保子)を絡ませた愛と金の物語。
刀職人と叔母を繋げる不気味な妖刀の精としてブラッディマリーという少女俳優(=小山内まりな)を出したのは面白いアイデァだったが、肝心の物語にリァリティがない。
一番困ったのは、殺したいほど愛しているという二組の恋人たちに愛の実感がないのだ。お互いに愛しているという実感がないのだ。既成事実として既に了解しあっているところから話が始まっていて、変化や進展がないので恋人たちに愛の葛藤がないのだ。
演技的には、無理に様式化させようとしたのか、大仰なあてぶり芝居が多くて白ける。妖刀に纏わる男女と、金の絡みあいをリアルな表現で舞台化すると面白かったと思った。
最近の時代劇の、衣装・結髪・履物など視覚的な時代考証が滅茶苦茶なのが気になる。オリジナルを熟知した上で、簡略化したり象徴化したりするのは良いんだけども、恣意的に飛躍しすぎるのはどうであろうか? 
今日の舞台もそのあたりの意識のもち方がよく判らず、単に恣意的に感覚的に走っちゃっただけのように見えたのが気になった。
その他の出演者
ニュー花火(=藤谷真由美)・千寿(=進藤智生)
タイガー(=小野優)・



詩語のような台詞
 3、『廻り花 観音巡り』

脚本/亀井健 演出/舛井正博
照明/上村範康 音狂/ワタナベヨヲコ

お半・初(=小原綾子)徳平衛(=亀井健)の悲劇よりも二人のそれぞれの両親の、それぞれの不倫悲劇の方がクローズアップされ、油ぶち撒けた殺し場も徳平衛と叔母のシーンではなく母親の痴情場面になっている。総じて男女愛欲の縺れの物語だ。
ブツ切れで硬直化された台詞は、良く言えば詩的なのかも知れないが、演技のリァリティと融合せず浮いた印象だ。真面目に考え過ぎた遊びが、空回りしたような感じがするのだが……
だが真っ黒に閉鎖された、いわゆるブラックボックスの環境を巧く使った舞台美術と、それに伴う照明の美しさが印象的であったのが救われた。
 その他の出演者
 伊勢藤十郎(=三浦徹也)・お吉(=吉田奈穂子)
 平野七左衛門(=植松尚規)・女将(=御供竜生)
 おこう(=矢野杏子)・平次(=山田マサル)
 弥五郎(=長睦)・善兵衛(=岡村智明)



一人芝居の新境地
 4、『愛のいぢわる』

脚本・演出・出演/北川徹   協力/エビバイバイ
映像/近藤大介 衣装協力/本阿弥梢 照明/赤山悟

梅川・忠兵衛の悲劇を北川徹の一人芝居で演じる。一人芝居の分類を考察している僕としては、この男女の一人芝居がどの範疇に属するのか興味のあるところだった。
観たところ、今までにその実例の最も少なかった第3の形であることが判った。この形は一言で言えば、一人の演者が複数の登場人物を入れ替わって演じるという形のものである。
ただしそれにも2種類あって、終始一人が複数の人物を演じる形と、物質の相手役を対象に演じる形とがあるが、この舞台は日用雑貨で作った男女の人形を相手役として、一人3役以上を演じ分けるという珍しい形式の上演であった。
この第三の形式は、3つの形式のなかでは、僕の感じる演劇の感興が最も現れる形式であり、しかも上演例の少ない形式でもあるので、その意味では興味深く観ることが出来たのであった。
しかしいずれにしろ一人芝居というのは、演劇の本質から外れるけれども物理的な事情で、やむを得ずこの形を選んだような気がして、諸手を挙げて賛成できるものではない。



集団パントマイム
 5、『近松殺札幌心中』

脚本・演出/清水友陽 美術/中川有子
照明/清水洋和 衣装/高石有紀 
演出助手/左井川淳子 制作/岩田知佳・近藤真澄
プロデユーサー/梶原芙美子
出演/杉本結・赤坂嘉謙・岩田雄二・加藤健・
小林テルオ・柴田智之・橋逸人・立川佳吾
谷川登

「女は国、水は資源、卵は爆弾、これは戦争だ」というテロップが出て、一人の女(=杉本結)を巡って8人の男が争う、あからさまな偶話劇で、それが全編集団バントマイムで演じられる。近松をこのように見立てたのは面白いが、奇を衒ったというか、表現が気取り過ぎた。
特に冒頭のシーンは、もろに『水の駅』(太田省吾)のエピゴーネンであり引用というには些かそのまま過ぎるようで、余り好感が持てなくて減点であった。