編  集  後  記


  今年の正月、東京から帰ってすぐの12日札幌で、ベルギーの『ヌーボ・シルク』というものを観た。これはサーカス芸を中心として、ジャズ音楽・コンテンポラリイダンス、そして演劇の要素も交えた新しい芸能の形だそうだ。
 そのすぐ後の16日にはイラクの首都バグダッドの「しかめっ面のアリス」という劇団の『バグダッドの夢』という芝居を観た。続いて19日、スロバキアの国立オペラの『カルメン』、もちろん小編成の抜粋だが、それを沼田町という僕の住む深川の隣町で鑑賞する。
 それぞれの内容については、次号で詳しく報告するが、何とわずか半月の間に、外国のステージ・パフォーマンスを3つも観てしまったわけだ。
札幌や東京では別に珍しくもないかも知れないが、この田舎で別にそうとは意識していなかったのに、こういう結果になったことに少々驚いている。

○僕は芝居を観る時はもちろんだが、稀に創るときでも、どこに一番関心があるか? と言えば当然と言えば当然ながら、テーマでありメッセージであると言えよう。
とはいえ芝居はエンターテインメントでもあるから、その要素も見逃せないが、畢竟、基本はテーマでありメッセージでしかないと思うわけだ。
だから、すべての舞台を構成する要素、たとえば演技・美術・音楽などすべての部門についても、細かな部分については一々気にしないことにしている。それは個人の好みの範囲に属する問題だと思うからだ。
その点でただ一つ問題になるとすれば、根本のテーマやメッセージから誤解を招いたり逸脱する恐れがあると考えられる時だ。おそらく演出であり批評である立場とはそういうものであろうかと思っている。

○演劇雑誌『悲劇喜劇』(早川書房刊)07年3月号の特集「2006年演劇界の収穫」という企画記事に、去年に続いて『続・観劇片々』12号13号が紹介されました。
去年と同じく大衆演劇研究家の原健太郎さんのご紹介です。大変な名誉ですが、それに値する文章が書けるのか? と緊張しています。

○このところしばらくの間、コントと演劇について考えていた。辞書をみると、大体「短い軽妙な小説」「風刺・諧謔の寸劇」などと出ている。
2月11日、ふじTV系でドリフ大爆笑30周年記念SPというタイトルで、30編のコントが放映された。
ドリフの演じる芸能は一般にコントと言われている。この30編のコントを詳細に見ると、
@人間関係のドラマというよりは、内容を考えさせずに直感的・見た目の面白さに重点を置く。 
A状況設定の意外さ、脈絡のなさ、シュールな展開。 
B起承転結がない。
等であろうか。
ちなみに、
1位は、大家と店子の八百屋との攻防戦。破天荒な状況のバカバカしい意外性。
2位は、重病の芸者の必死なお客サービスという、状況設定のバカバカしさ。
3位は、貧乏人が何とか安く松茸を買おうとする可笑しさ。
これがホントのコントかどうかは判らないが、これを基礎に、演劇との差異を中心に少し考えてみようかなとの思いがある。




この期に、本誌に書いた以外に観たものは、『じゃじゃ馬馴らし』
ニュー・プレイス第1回公演 06年12月9日/ことにパトス
作・W・シェイクスピア 翻訳/sc恆存 演出/宮田ゆきのり があった。




『続・観劇片々』は、札幌の劇団『Theater・ラグ・203』のホームページに公開されています。内容はこの冊子版と全く同じです。
アクセスは「Theater・ラグ・203」「観劇片々」「松井哲朗」などのキーワードで検索すると、劇団のホームページが出てきます。あとはそのホームページを開いてください。
興味と関心をお持ちの方にご紹介くださると嬉しいです。