演 目
映 画/太 陽
ロシア・フランス・イタリア・スイス合作 05年制作
観劇日時/06.9.30
脚本/ユーリ・アラボフ 
監督・撮影監督/アレクサンドル・ソクーロフ
出演/イッセー尾形・ロバート=ドーソン・佐野史郎・桃井かおり・他
制作/ニコラフイルム・他
劇場/スガイシネプレックス札幌

滑稽な市井人の悲劇

 「太陽」というタイトルが何を意味しているのかわからなかった。画面はひたすら暗い。前半1/3くらいは戦争中で地下の防空壕の中だから暗いのは当然かも知れないけれども、いつの間にか突然戦争は終わっていて天皇は水中生物の研究をしているシーンになっている。
戦争と天皇の関係を描く映画じゃないから、それはそれでいいのかも知れないが、戦争が終わっても依然として画面は暗いのだ。
外国人記者の写真撮影に応じる場面も、コミカルな演出・演技なのにどんよりとした暗い天気だし、他の場面も夜のシーンが多く、全体に薄暗い印象だ。カラーなのにくすんだ画面だ。それが一種の映像美であると同時に人間の哀しさの象徴でもあろうか。
それは天皇が人間宣言をすることが、日本に太陽が出現するというイメージを計算したのか……天皇が人間と言いながらもノホホンとしていて、むしろ人間離れしている感じだが、ところところで滑稽な行動が頬笑ましい。
マッカーサーに子供たちのことを聞かれて、「原爆の残虐から逃れるために疎開した」と答えると、マッカーサーから「真珠湾は残虐ではないのか」と問われ、「あれは自分は命令していない」と答える。マッカーサーも「原爆は自分が命令したのではない」と応じる。
それが責任逃れなのか、指導者の苦労への同感なのか? 平和と家族愛を求める人間、というよりは滑稽な脳天気な普通人の印象でありそこに彼の悲劇があったということを現したのであろうか。