演 目

観劇日時/06.6.14
劇団名/Teater・ラグ・203
公演回数/Wednesday Theater Vol.16
作・演出/村松幹男
音楽/今井大蛇丸
音響オペレーター/伊東笑美子
照明オペレーター/鈴木亮介
宣伝美術/久保田さゆり
劇場/ラグリグラ劇場

閉塞感に囚われた女の半生

 Theater・ラグの芝居は不思議な舞台だ。同じものを何回観ても、その度に何か感じるものがある。必ずしも大きな感銘を受けるとは限らない。表現的にはくどいとかまどろっこしいとか思うこともある。
けれどもトータルとしては、ほとんど気にならない不思議な魅力を持っているのだ。
で、今回の魅力って一体何なんだろうか? 芝居自体にはほとんど新しい発見は出来なかった。役者が一人を除いて良い意味で慣れて来たのだろうか? 早乙女慶子役が田中玲枝から吉田志帆へと代わり他は同じである。
 初日を観た時は、理屈っぽくて正直少々退屈したのだが、それは役者が慣れなくて硬くなっていたせいもあったかもしれない。だが2回3回と観るごとに面白くなっていく。飽きがこない。理屈っぽさが逆にすんなりと説得されていくのだ。だから1時間半の芝居の、しかも次の展開が分かっているにも関わらず、ちっとも退屈しないどころか、あっという間に終わってしまったという感じなのだ。
理屈っぽさは相変わらずだし、言ってることは分かってるよ、と言いたいのに不思議な芝居である。
 僕は幼い頃から、永久といわれる時間の始まりや終わり、無限大といわれる宇宙の果てのことを考えると、怖くなり厭世的な気分に陥って困ったものだった。劇作家で演出家であり役者でもある渡辺えり子さんも同じようなことを言っているのを何かで読んだ記憶がある。
長ずるに及んで鈍感になったのかあまり気にならなくなり、そういう幼い頃の感受性が懐かしかったりするのだが、この芝居は正にそんなことを思い出させるような話であった。