演 目
ザ・シエルター
観劇日時/06.4.20
劇団名/劇団ひまわり札幌俳優養成所
公演回数/研修科第2回公演
作・北村想
演出/滝沢修
音響/金野翔太
照明/早川慎也
制作/山口忍
劇場/やまびこ座(札幌東区のこどもの劇場)

詩情豊かな好舞台

 米ソの緊張関係が世界を恐怖に陥れていた時代に書かれたこの戯曲は、北村想の代表作の一つである『寿歌』と共に、その恐怖の最大の根源である核戦争を題材にしている。初見の感想は、柔軟な発想による厭戦劇だと思ったことに尽きる。
物語は、ある大企業が家庭用の防核シエルターを開発試作し、その会社の営業社員が家族と共に3日間のテスト生活をすることになる。
猛烈社員の夫・センタ(=鈴木晴博)と、ちょっと天然ボケ系だが従順な妻・サトコ(=関野理恵)。夫の父親・センジューロー(=高崎愛知)は夫婦に邪魔者扱いされながらも、しぶとく頑固に老人の知恵を巧く使ってその位置を保つ。小学2年生の娘・カノ(=恩田真悠唯)は傍若無人の小台風だが、何故か頑固爺ちゃんには懐き、老人もカノと組んでやりたい放題。
センタは、こんな家族を脅したりすかしたりしながら密閉された居住空間での実験生活に入る。
突然、原因不明の停電が起きる。焦るセンタ、夫を全面的に信頼する妻・サトコ。カセットラジオを鳴らし、ローソクを取り出して点灯する祖父、異常事態に興奮するカノ。
この状況は老父に昔の台風の襲来を思い起こさせる。父・夫・妻は次々にかつての台風の思い出を語る。それを面白がる娘……台風の恐ろしさは核戦争と違って、むしろいくばくかの郷愁と詩情とがある。
現在、核戦争の恐怖は果たして遠のいたのだろうか?核による世界の終末時計というのがあって、一時それが23時50分以上にも進んだこともあったのだが、最近その話題を聞かなくなった。その辺にどういう思いが込められているのだろうかという期待で、この舞台を観た。
核戦争の恐怖というモチーフ自体は当然だが、今日の舞台はむしろ時代状況から、それをアナクロとして嘲笑しているような感じがする。
台風にまつわる様々なエピソードが表わす人間的な詩情が強く訴えかけられて、核戦争の問題は様々な環境破壊の一つという捉え方のような気がした。
ラストシーン、夕焼けの中でトンボを追う老人と少女。その背景の黒幕が開くと、夕焼けの大空に、唐草模様の大風呂敷で空を飛ぶ、かつてのスーパーマンを夢見た少年のセンタ、真っ赤な傘をパラシュートのようにしてやはり空を飛びたかった少女のサトコが今空を飛ぶ。二人のフライイング場面がとても美しかった……
念のためオリジナルテキストを見ると、この部分は「……シエルターの中を飛ぶ無数の赤とんぼ。」で終わっている。
もう一つ感じたのは、この家族の、客観的には非常に滑稽で壊れそうなのだが、強固で壊れない絆をユーモラスに、一種の家庭劇として表現した一面が強くあったということだ。
核戦争の恐怖と人類全滅の不条理とを描き出すはずのこの戯曲が、今の時代に崩壊しつつある家族の現実と家族像の一つのありようを暗示するという、意外なもう一つの側面を発見したのであった。
俳優養成所の若い人たちだから演技はガチガチだが、精一杯やっている誠実さに好感が持てる。老父の頭髪を前頭部と頭頂部をツルツルに剃り上げ、横髪と後髪とを長く伸ばし白く染めた体当たりの役作り、20歳前の若い女優の卵の、小学2年生の縦横無尽の演技など、本気な一所懸命さが伝わる。
舞台面には美術的に、もう少しシエルターの内部という閉塞感があった方がよかったかなと思ったことと、途中、夢の場面でやはり背景の黒幕が開くのだが、そのときシエルターの壁面についている計器盤が残っているのが邪魔に感じたのだが……