ゆるしの秘跡
05年拓大ミュージカル『泣かないで』観劇記
ふかがわ市民劇団/佐々木 和美
 


 このテーマを聞いたとき、ずいぶんと重い話を選び、それをどのようにしてミュージカルという形式で、内面的なものを表現していくのだろうと強い関心をもちました。
そしてその特別な思いは、嫌でも自分自身と再び向かい合うことになりました。私がボランテイァとしてハンセン病に関わって、浅はかな自分を身にしみて自覚する切っ掛けだったからです。善意っていったい何だろうと落ち込んだりもしました。
ボランテイァも現実問題としてお金が必要です。会費をはじめ、現地に赴く旅費とか……。それでも本州までは行けなくても手紙で交流を図ることはできるのだからと私は思いました。でもその相手の現実の苦しい重さを受け止める器量が私にはありませんでした。どうしていいのか迷いました。
手紙も出さなくなり、会費だけを払う自分を嫌らしいと感じました。だからこのミユージカルを観ていて、森田ミツを捨てた男は、私だと思いました。
そんな個人的な思いがあったので、このお芝居を創るのにあたって、脚本家は参考資料をどうしたのだろうか? 原作の遠藤周作作品だけなのだろうか? また何に共鳴したのだろうか? そして役者はどのようにこの話を考えたのか、といろいろと興味をもちました。
 また私だったら、このお芝居はやれないだろうなと思ったりもしました。
何故、やれないのだろう? 
そう、今はやれない。
私が初めてハンセン病の記事を見たとき、「なんて可哀想な人生なんだろう、何とかしてあげたい」という一時的な感情と、思いやりという名のエゴに陶酔していたあの時なら、この芝居、私もやってみたいなと思ったはずです……
 物語の最後で、スール・山形が吉岡務に送った手紙に「愛徳は感傷でも、憐憫でもございません。私たちは、悲惨な人や気の毒な方を同情しますが、同情は、本能や感傷にすぎず、つらい努力と忍耐のいる愛ではないと、教わってまいりました」と書いています。
まるで私自身に問いかけられたようでした。
そしてスール・山形の手紙が続きます。
「癩病に侵された子どもが急性の肺炎になり、森田ミツの願いも虚しく息を引き取ったとき、森田ミツが『あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるもんですか』『なぜ、悪いこともしない人に、こんな苦しみがあるの。病院の患者さんたち、みんないい人なのに』と悲痛に吐露する。
私は特別な信仰をもっているわけではありませんが、こみあげる感情を涙で外に流さぬように、一滴も漏らさずにこの身に吸収することで許しを乞い、祈るような思いでこの場面を観ていました。
私、もう一度「わたしが、棄てた、女」を読んでみよう。
もしかしたら新しい風が吹くのかもしれない。

05年2月26日/深川市文化交流施設「み・らい」にて
05年3月11日・記