『観劇片々』読後感(抜粋) 感想/村 井 浩 松井・註 ・村井氏の私信から松井が抜粋して構成しました。 ・「 」内の文章は松井の元の文章です。 |
第5号より 7ページ『間違いの喜劇』 「これは意外な発見だ。当初マイナスと感じた部分が、少なくても±0あるいはプラスと許容されたのは何故であろうか?」 なぜこのことが疑問なのかを気づく人は少ないであろう。 8ページ『アレカラノコト』 「姉妹は互いに相手に遠慮し、相手を気使うことで、己の精神の不自由を自己弁護していたのだ」 「人間は変われるのか、変われるとするならば、どうしたら良いのか? 小学校以来変われなかった自分が今、小学校で変わることが出来たのは儚い単なる妄想であったのか」 この二文は、劇中の台詞にあったのか、松井氏の解説文なのかを知りたいと思いました。 P11いまさらですが「自分探し」をしてみませんか?』 「僕が梗概を紹介するということは、そのこと自体が僕の感想なり時評になっているわけだ。逆にいうとこの文の読者は僕の紹介文を丸ごと受け入れるべきではなく、この文というわずかな手がかりを元に、読者個々の世界を構築しなければならないであろう」 これは松井氏の親切であろうと思うが、私は氏の冴えの効いたパンチ力のある梗概が大好きです。 P15『夢幻の明日』 「子どもたちが創った物語は、発想が類型的だという批判は簡単だが、台詞にリアリティがあって余り違和感がないのが物語りに現実性をもたせている」 「問題は、(稽古不足のために)表現がいかにも未消化でぎこちないことである。(中略)本番までにあと二回の通し稽古をやるそうだ。子どもたちはともかく本番に強い。期待しよう」 暖かく励ますのも、氏の魅力だと思いました。 P17『ぼくのおもいどおり』 「戯曲も演出・演技も隙がなく、器用に創られているがために、逆に素朴な力強さが足りなかった気がする。酷な言い方だが、面白い舞台を創っただけに欲張った願望を出したくなる」 芝居に対する暖かい眼差しを感じます。 P21『近代能楽集』 「演劇で古典といわれる作品を上演する場合は、今の時代に生きている演劇としての舞台を創らないと、意味が薄くなってしまうのである」 鋭く輝く言葉です。 P31『04「踊りに行くぜ!! Vol 5」公開選考会』 「新鮮なダンスデスカッション」 北海道は演劇が盛んで裾野が広いことが良くわかりました。 第7号より タイトルの前に付けられた「見出し(キャプション)」の一言が的確です。短い言葉で全部を表現されるのはすばらしいことだと思いました。 P1『東京物語』 「あとで原作にあたってみると、ラストがはっきりし過ぎて竹内戯曲らしくないような気がしたが、潤色を知ってなるほどこういう方法もありなんだと納得した」 このように疑問を確かめる作業をして、何かを発見するということに、そこまでやるのかと驚きました。 P2『受付』 「受付の女は、あの手この手で別役流の噛み合わない会話を駆使して、この男を難民孤児への寄付から始まって、角膜移植のための死後献体、さらに安楽死協会へまで入会させようと強引に追い込む。(中略)怒った男は、ついに退場するのだが、残った女は『このビルにはここを含めて37の各種ボランテイァの事務所がある』とつぶやく」 見たくない現代を表現している芝居だと思います。 「一方的な善意とそれに対抗できない人間の弱さは、他人事とは思えないが、(中略)この一場のやりとりは、それ以上に何を意味するのか?」 答えは書いてはいないけど、そこまで考えるのが評論かと思いました。 P3『走りながら眠れ』 他の文に較べて短い文章だが、高く評価しているのが良く伝わりました。 P6〜7『踊りに行くぜ!!』 劇場に行かなければ分からないことかもしれませんが、舞台の後でどんなことが話し合われているのか、チョッピリ覗き見した思いです。 P9『珈琲時光』 映画については、そのストーリィが中心で「キレ」のある言葉が少ないと思います。 P23『カメヤ演芸場物語』 「かつて挫折した若い闘士たちを登場させたのならば、彼らの真意についてもう少し掘り下げられなかったのかな、と思うのは無理であり僕の感傷であろうか?」 優しい気持ちが伝わり、この論評がパンチ力を増すのだと思います。 P25『悪の組織の作り方』 言葉が生きている、躍っている。 「何が出てくるか分からないところに変に惹きつけられるのだ。志向の違った作者、演出者、俳優たちが組む面白さも棄てがたい。(中略)次に何が出てくるのか大いに期待させてほしい。」 この暖かい言葉が私にも伝わります。 P30『A Warp caf氏x 「プロローグとエピローグは、二人がどこか遠い潮騒の聞こえる崖の上に立っているシーンで始まり、そして終わる」 詩を読む思いでしたが、プロローグとエピローグの意味が分からずカタカナ語辞ん典で調べてみました。しかし文字だけで想像したほうが良かったと思いました。 「ほとんどがカフエの二人の対話のシーンだから、この二人の微細なリアリティがこの芝居の存在を保証する。それに耐えるにはやはりこの二人には荷が重かったようだ」 厳しい指摘です。 P31『冬のバイエル』 「観客の想像力を起こさせる物語のそこが面白い」 なぜ想像力を起こさせるのか、そこを説明してほしいとは思いましたが、この芝居を評価した一つの理由は、この芝居を観る人に想像力を起こさせるような演劇だ、ということは分かりました。 全体を読んで感じることは、(私は、元になる舞台を観ていないので、松井氏の書かれたものと)同じような感想になってしまうことです。そして読者を大切していることが良くわかりました。 ご活躍を心より祈ります。お元気で。 05年2月6日 |